趣味は何ですか?

趣味は何ですか? (角川文庫)

 読みながら何度も笑ってしまいました。

 解説を書いている三浦しをんさんも同様だったようで・・・

 

P236

「趣味は何ですか?」

 本書の著者である高橋秀実さんと同じく、そう尋ねられたら、「うーむ」と唸って答えに詰まってしまうひとは、案外多いのではないか。

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「趣味って、いったいどういうものを言うんだ?」「そもそも私には趣味があるのか?」。そう考えていくと、なぜかどんどん、「『自分』とはいったいなんなんだ?」「そもそも『人間』って、『生きる』って、なに?」とドツボにはまりこんでしまう感すらある。私事にすぎないと思っていた「趣味」が、まさかこんな壮大な疑問へと通じていた(?)なんて。おそるべし、趣味!『趣味は何ですか?』を読んで、「趣味」がはらむ底知れぬ奥深さに気づかされたのだった。

 本書にかぎらず、高橋さんの著作はいつも、こちらの凝り固まった「常識」を揺さぶってくる。いや、揺さぶるというより、高橋さんご自身がタコのようにぐにゃぐにゃ揺れているというか漂っているのかもしれない。高橋さんの語り口は、一見すると極度に脱力しており、「大丈夫なのか……?」と心配になるほどなのだ。

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 ・・・私たちは、高橋さんと一緒にぐにゃぐにゃ揺れる。揺れながら一冊を読み終えたときには、自分が「常識」だと思ってきたことがちっとも常識ではなく、底知れぬ奥深さを秘めていたのだと気づかされる。・・・

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 タコ的ぐにゃぐにゃぶりと強靭な搦めとり力を、高橋さんは本書でもいかんなく発揮している。「航空無線」「八十八ヵ所巡り」「カメ」「登山」などなど、さまざまな趣味に邁進するひとたちに話を聞き、高橋さんもそれらを自分の趣味にしようと挑戦するのだが、ことごとく失敗に終わる。無間地獄的様相を呈する「八十八ヵ所巡り」の顛末に至っては、私は夜中に読んでいて近隣に爆笑を轟かせてしまった。とにかく全編、笑わずに読むのが困難だ。

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 本書に登場する人々は、趣味からなにかを得ようとしたり、趣味に打ちこむにあたって明確な目的があったり、趣味を単純に「楽しい」と感じていたり、といったことがまったくない。「航空無線」を傍受しているひとは、寒風のなかで飛行機を眺めながら、「つまんないですよ」と言う。「カメ」を自室で飼っているひとは、愛カメたちの糞尿掃除に毎日追われる。「登山」に挑みつづけるひとは、山で仲間を何人も失い、自身も何回も死に瀕した経験がある。

 もはや、「趣味」という言葉で片づけられる次元ではない。・・・「お願いだから、もうやめてー!楽になってー!」と叫びたくなる。でも、かれらはやめない。趣味だからだ。

 趣味とは、「業」なのではないか?私は本書を読み進めるうち、そう思うようになった。「業」は、理性や損得や嫌悪を超えた、やむにやまれぬ衝動のようななにかだ。そのひとを突き動かし、そのひとをそのひとたらしめる、心と体と感性と生活に染みついたなにかだ。

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 さまざまな趣味に挑み、無念にも敗退をつづける高橋さんが、本書の最後、どういう境地に到達するのか、ぜひ見届けていただきたい。脱力すらも軽々と超えて脱臼の域と取るか、解脱―すなわち、業から解放された自在の境地と取るかは、ひとそれぞれだと思う。個人的には、高橋さんに全面的に共感、同意した。高橋さんのタコ的ぐにゃぐにゃ戦法によって、またも大切なことに気づかされたわい、と思った。

 意味などなくていいのだ。趣味にも、意味なんかなくていいし、生きること自体にも、べつに意味も目的もない。だからこそ、楽しいしつらい。自在だけど、ときにあせりも感じる。そういうもんなのだ。趣味も、生きることも。・・・