存在の手応え

ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)

 この辺りもとても印象に残りました。

 

P205

 フランスの哲学者、数学者のルネ・デカルトは、真理の探究を目指してあらゆるものを疑うという方法で思索し、その結果、「考える自己」を見出します。

 これは極めて素朴な発想ですが、しかしなかなかすごい思索です。・・・

 彼はまず、「感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しよう」と考えます。

 次には、幾何学のようなもっと観念的な推論についても疑います。さらには、「わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる」ので、自分の精神の中身はすべて夢のようなものだから真ではないと仮定しよう、とまで考えます。

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 ・・・デカルトはあらゆるものを疑っていき、自らの意識の内容については疑うことができるけれど、その意識している自己の存在自体は疑えないというふうに考えました。これが、有名な「われ思う、ゆえにわれあり」の命題です。

 ただ、この命題は一見もっとものように思えますが、私の体験に照らしたとき、どうも違和感があります。デカルトは、

「このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない」

 というわけですが、「考えている」ことと、その思考行為を行っている「自分」という存在がそのまま自動的に接続されているという発想に、違和感を覚えるということです。

 例えば、私の場合、十八歳で見えなくて聞こえない状況になって、言わば「認識場の宇宙空間」に一人で放り出されてしまったわけですが、そこでは私が感じる私自身の存在の手応えが極めて希薄になっていました。

 その希薄になった感覚について、私は当時、ある手記の中で触れています。

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 失明当時まだ小さかったこともあってか、私は悲しみというものをほとんど感じなかった。光がなくても、この世界には音という大きな味方があったからだ。音楽もあればドラマもある。盲人野球に汗を流すこともできるのだ。

 しかしこうしたものは、失聴とともにすべて私の前から消えてしまった。ただ残ったものは、海の底の音のようないく種もの耳鳴りだけだった。そしてもっとも私を苦しめたのは、人と話せなくなったということだ。私は孤独だった。

 日記を書き、読書に没頭し、なんとかして気を紛らそうとした。でもその結果は寂しさを募らせるだけだった。「私」という人間がこの世界に存在しているのだという自覚が、失われていくように思われた。限定のない真空の中で、私は半ば死にかけている自分の精神を感じ、いいしれぬ恐怖感に襲われたものだった。

 

 つまり、私の体験から言えば、自分の中で何かを考えているだけでは、自分自身の存在を実感できないということです。「考えている」という行為を自覚することは確かに一人でもできるかもしれません。しかし、外界と認知的に遮断された世界でずっと一人で考えていると、だんだん「考える主体」であるはずの自分がどこにいるのか、自分とはいったいなんなのかが曖昧になってきて、わからなくなってきます。少なくとも、私の体験ではそうでした。

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 私は十八歳のとき、約三ヵ月で盲ろう者になったわけですが、その過程の最初の頃は「なんで俺だけ目が見えなくなって、しかも耳まで聞こえなくならなあかんのや」と思っていました。

 けれど一ヵ月ほど経過して、もう一歩進んで考えてみて、見えないとか聞こえないというのは生きているから生じることじゃないかと気づくのです。それ以来、「じゃあ、そもそも生きている、この命があるということはなんなんだ」と考えるようになりました。

 すると、それは非常に不思議なことだと思い至ります。なんで私が生きてきた(生きている)のかわからないのです。

 両親から生まれたのは確かでしょうが、そもそも私という人間がいて、私という意識があるというのがすごく不思議です。そして、それは奇跡的なことなのではないかと思うようになりました。

 そう考えたときに一つだけ言えることは、私は自分の力で存在しているのではない、ということです。私自身は「私」という存在自体の原因にはなっていない。つまり、私の存在という結果を生み出した原因は私ではないのです。では、何が原因なのかと言われるとわからないのですが、少なくとも私ではない何ものかが私という存在の背後に存在しているのだろうと感じました。それは多くの場合、神、あるいは宇宙などと呼ばれるものでしょう。とにかく私という存在を生み出した原因は私ではなく、なんらかの大いなる存在です。

 このように考えてくると、私が見えないとか聞こえないとか、あるいはいつまで生きるのか、いつ死が訪れるのかというようなことは自分ではコントロールできず、自分ではわからない。それがぼんやりと感じられてきました。