見るための、別のアイデア

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

 奥行きなどが知覚できない奇妙な見え方に屈することなく、視覚以外の能力を前面に出して世界を見ようとする試み、これもとても興味深かったです。

 この本の紹介はここまでになりますが、ここ何年かで読んだ本の中でも特に印象に残る「読んでよかった」本でした。

 

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 今度は、別の角度から考えてみることにした。「どうすればもっとうまく見ることができるようになるのか」と考えるのではなく、「おれが上手にできることはなんだろう」と考えることから出発しようと思い立った。

 考え方を変えると、次々とアイデアが頭に浮かんだ。

「おれは触覚でものを識別するのが得意だ」と、メイは考えた。「音や反響やそのほかの感覚を活用するのも得意だ。盲導犬と杖も上手に利用できる」

 では、発想を逆転させてはどうか。これまでは、まず視覚に神経を集中させ、その後でほかの能力を使って空白を埋めようとしてきた。しかしそうではなく、目が見えなかったころに使いこなしていた能力を最初に用いて、その後で視覚で空白を埋めるようにしてはどうか。もう一度、失明者に戻ることによって、ものを見る方法を学ぶというアイデアはどうだろうと、メイは考えた。

 ・・・

 ・・・視覚を脇役に回し、そのほかの感覚を情報処理作業の先頭に立たせる練習を続けた。そうすると、それまでよりスピーディーに、しかも正確にものを見てわかるようになった。時には、つまづくこともあった。文字どおり、車道と歩道の境目でつまづくときもあった。それでも練習を続けた。そのうちに、見ることがますます簡単になってきた。さすがに完全に無意識にことが運ぶというわけにはいかなかったし、普通の視覚をもつ人に比べればお話にならない。それでも、進歩はしていた。興奮せずにいられないくらい目覚ましい進歩を遂げていた。見えるようになるために、「失明者」にもう一度戻る―そんな思いも寄らない方法でそこまで進歩したのだ。ある晩、この成果をメイはジェニファーに得意満面で報告した。

「小学生の男の子みたい」と、ジェニファーはからかった。

「だって、そういう気分なんだからしょうがないだろ」と、メイは言った。「みんなに自慢して歩きたいくらいだよ」