世の中と足並みがそろわない

世の中と足並みがそろわない

 ふかわりょうさんのエッセイ、初めて読みました。

 このタモリさんのエピソード、面白かったです。

 

P95

 私がタモリさんと出会ったのは20代の頃。初めてお会いした時は、この世に実在するのかと感動したものです。しかし、この世界に飛び込んだのは紛れもなくテレビの影響ですが、実を言うと、タモリさんに強い憧れは抱いていませんでした。むしろ、「お笑いビッグ3」のゴルフ番組では、どうして他の二人がボケまくっているのに、一人淡々とゴルフをするのだろう。面白みもないし、大人気ない人だなと、ネガティブな印象さえありました。

 その意識が変化していったのは、私が『笑っていいとも!』に出演するようになってから。数ヶ月に一度のゲスト出演を経て、念願の曜日レギュラー。それは、我々若手芸人にとっては夢のステージ。・・・当時の私は気に入ってもらおうと、生放送の後はタモリさんにくっついて、一緒に食事をするようにしていました。

 昼食は、いくつかのお店をローテーションしていました。壁が油まみれの定食屋さん、こぢんまりとしたお蕎麦屋さん、カウンターだけのラーメン屋さんなど。ご馳走を期待していたわけではないですが、全国ネットの司会をした後の食事にしてはとても質素で、庶民的な場所ばかり。奥の個室に案内されるわけでもなく、一般のお客さんとして利用していました。

 昼食を済ませると、よくゴルフ練習場に向かいました。・・・そこには、打ちっ放し仲間のおじさん達と談笑しながらクラブを握るタモリさんの姿がありました。さっきまでアルタでマイクを握っていた方が、いつの間にかごく普通のおじさん達に同化しています。周囲も気づいていない様子。打ちっ放しが終わると次の現場かご自宅に帰られるのですが、その日、タモリさんの口から耳を疑う言葉が飛び出しました。

「じゃあ、お前の家行くか」

 冗談なのか本気なのか、あまりに唐突な提案。うちに来てどうするのか。何か審査されるのか。タモリさんを喜ばせるようなものは何もないし。不安が払拭されないまま、二人を乗せた車は、私の一人暮らしの家に向かいました。

 渋谷の公園通りの裏にあるマンションの前で停車すると、運転手さんを残し、エントランスを通過する二人。当時、一丁前にも受付のあるマンションに住んでいたのですが、受付の女性はさぞ驚いたことでしょう。

「結構いいところに住んでるな」

 相当散らかっているので一旦片付けタイムが欲しかったのですが、お待たせするわけにはいきません。エレベーターを降り、いつものように鍵を開け、タモリさんを連れて帰宅する午後3時。これは夢なのか。あまりにシュールで脳の処理が追いつきません。

「すみません、散らかってて」

 しかし、タモリさんは玄関からなかなか進みません。棚の上にある植物や置き物を手にしては、一言添えてボケてくるのです。さっきまで全国に向けてボケまくっていたエンターテイナーが、今、たった一人の男を笑わそうとしています。私は、本番以上に油断できなくなりました。

「なんだよ、ピアノあるの?」

 当時、部屋を占領していた猫足のアップライト・ピアノ。おもむろに椅子に腰掛け、蓋を開けました。

「え、もしかして……」

 タモリさんの指が鍵盤の上で動いています。どこかで聞いたことがある音色。

「白鍵だけ弾いてれば、な?雰囲気出るんだよ」

 それは往年のギャグ、「誰でも弾けるチック・コリア」。テクニックなどなくても雰囲気だけでジャズプレイヤーになれてしまうという、まさしくタモリさんの真骨頂。まさかこんな目の前で、しかも私のピアノで。こちらからリクエストしたわけじゃないのに。感動とともにますます頭が混乱してきました。気持ちを落ち着かせるために、キッチンで紅茶を入れて戻ってくると、タモリさんの姿がありません。

「あれ?」

 タモリさんは、ベッドの上で仰向けになり、安らかに仮眠をとっていました。天に召されるような姿で。

 その後、どのようにして帰られたのかは覚えていません。

 気づいたことがありました。タモリさんはどこに行くのも変わらない。本番に臨むことも、お蕎麦屋さんに行くことも、コンビニに行くことも、どこに行くにも、力が入っていない。さぁ、やるぞ!みたいなスイッチがなく、脱力というか、まるで浮力だけで動いているようにも見えました。

「やる気のある奴は去ってくれ」

 ラジオ番組が始まる時に、スタッフを集めて発した言葉。「やる気のない奴」ではありません。「やる気のある奴」です。力の入ったものは全体に悪影響を及ぼすということでしょうか。「みんなで頑張りましょう、よろしくお願いします」ではないのです。

 ・・・

 そうしてお付き合いしているうちに、タモリさんがいかに偉大な存在であるか気づくようになりました。あの「ビッグ3」のゴルフのやりとりも、他の二人に同調せず、淡々と我が道をゆくスタイルがむしろ面白いのだと、私の中で考えが変わってきました。『笑っていいとも!』では、出演者の中で誰よりも早くスタジオに入るのがタモリさんでした。およそ8000回もの放送で、一度たりとも遅刻をしたことがありません。

タモリ俱楽部』でも、興味深いことがあります。本番の準備が整うと、車から降りて来られるのですが、現場に入る際に手渡された台本に必ず目を通します。しかし、実際には台本通りに進まないというか、成り行き次第なので、台本には大まかな流れしか書かれていません。でも、時にサングラスを持ち上げたりしながら、しっかりと台本に目を通す時間が必ずあるのです。これだけ長いことやっているのだから、「あぁ、大丈夫、大丈夫!」と省略してもいいものなのに。「力を抜く」と「いい加減」は違うのでしょう。

 ・・・

 野球選手は、ホームランを打つ際、力は入っていないそうです。同様に、ゴルフにしても、力で打つのではなく、力を抜いた状態でスウィングする。しかし、これがとても難しい。赤ちゃんが落下しても意外と無傷なのは、力が入っていないからでしょう。ピアノで大きい音を出す際も、力ではありません。ちゃんとしようと思うほど、力が入ってしまう。力を入れるよりも、力を抜く方が難しいのかもしれません。