この世を生き切る醍醐味

この世を生き切る醍醐味 (朝日新書)

 也哉子さんへのインタビューも収録されていて、興味深く読みました。

 

P152

 ・・・私、よく娘に言われんだけど、「お母さんって愚痴っていうのを言ったことないね」って。

―あっ、なるほど。

 うん。「ああ、もう、こうすればよかったのにぃ」とかは言わない。「ああ、そうなっちゃった。さいですか」って。「じゃあ、そこからこうしていくか」っていうような感じね。

―それはもう、最高の子育てじゃないですか。

 ねぇ。そばにいる娘に言われるんだからねぇ。原因は全部自分にあると思ってればね、愚痴は出ないのよ。

―はいはいはい、それ、分かります。僕も人に何かを相談したいと思わないんです。

 うん、そうなんだね。じゃあ、石飛さんも愚痴を言わないタイプか。

―あんまり言わないですね。

 それはね、立派なことでもあるけど、あんまり自分に関心がないってことでもあんのね。

―ハハハハハッ。なるほど。言えてます。

 ねぇ。

―はい。確かにそうです。

 自分はこうあらねばならないっていうのはあんまりないでしょう?ねぇ。

―ない。ない。

 愚痴を言わないっていうと、すごく聞こえがいいんだけど。

―はい。

 よく聞いてみると、あんまり自分に関して関心がない。自分にぞんざい、でもあるんだね。物事には必ず表と裏があるから、なんかそこだけ褒めちゃダメなのよ。

 

P211

 母は常々「家族に、自分の死んでいく姿を見せたい」と話していました。なぜ見せたいかというと、この日常というのは、希なる瞬間の積み重なり。その自然の摂理の中で人は生まれては死んでいくっていうことを身をもって気づかせたかったんでしょうね。かけがえのない一日一日が積み重なっての人生だと分かれば、日常のどんな小さなことにも感謝が出来る。そして、どんな人に対しても慈しみを持って接することが出来るというか。やはり、身近な人の死を体験すると理屈抜きで実感するんですね。

 さっきまで、息をして、しゃべってた人が、次の瞬間には消えていく。身体は焼かれ、灰になって、お墓の下で土に還っていく。「それを見てほしい」と。8歳の玄兎に至るまで、「おバアちゃんが死んだ。淋しいね」っていうこと以上の、人間の営みというか、そういうものを教えてもらえた。「ああ、母はこれを意図していたんだな」と思いましたね。それ以降、何だか子どもたちの顔つきが変わりました。それは、何ものにも代えがたい大きな贈りものでした。

 あの時、母が「帰ります」って言わなければ、母のプラン通りにはいかなかった。きっときっと母は「これが最後のタイミングだ」って分かったんでしょうね。お医者さんには「家に帰るっていうことは、リスクが高まりますよ」って言われたんです。でも、つらい決断を家族がしないでいいように、母がうまくやってくれたんだと思います。整理整頓もすべて完璧になっていました。だからあまり右往左往せずに済んだ。「身支度ってこういうことを言うんだな」と。

 そして、おまけに、どうやら父まで連れていったようじゃないですか。父が亡くなった時、みんなが言いました。そんな時だからちょっと申し訳なさそうにね、「お母さまが連れていかれたんですかね」って。「安心ですね」が後ろに付いてるような(笑)。

 

P222

 世間の方々が母のことを美化してくれるのはとてもありがたいことですが、私自身は、娘として母のもとで成長する中で、すごく嫌だったことがいくつもありました。でも、そういう部分が、母を母たらしめているんですけどね。例えば、道路にゴミが落ちていたら、まず自分で拾う。ヒッチハイクしてる人がいればすぐ乗せちゃう。困っている人がいたら、自分が急いでても「どうしたの?」って。とにかくお節介なんです。

 近所で兄弟が大ゲンカをしているとね、窓からのぞいていた母が、タタタタターッと下におりていくんです。若い男が2人、取っ組み合っているんですよ。私は「やめてー。行かないでー。危ないからー」って言ったんだけどね。母はね、殴ってる方のお兄ちゃんを後ろから抱きしめて、なんかね、「そうだねえ。分かるよー。あんたの気持ちはよく分かるよ。つらかったんだね!」っていうようなことを言うんです。

 普通、ケンカの仲裁は「何やってるんですか」とか「やめなさい」とか言うでしょ?でも母は、殴っている方を抱きしめたんです。その人もびっくりしちゃって、おバアさんが突然現れて、「あなたの怒りは私の中にもある」って言われたらねえ。2人とも、きょとんとしてケンカをやめちゃいました(笑)。何かに出くわした時に、よく考えもせずに咄嗟に自分の出来ることをやっちゃう。それが私にはすっごく嫌だったんです。

 だって怖いでしょう?ヒッチハイクでも、見ず知らずのおじさんを乗せちゃうんですよ。でも今、母が亡くなって、お節介な存在がいなくなってみると、母がしていたことは人間が生きていく中で、大切にしなきゃいけないことだったのかもしれないって、思えるようにはなりました。