既存の言葉や制度でくくられると不自由なものだなぁと・・・「自分で名付ける」というこの本のタイトルがくっきりしました。
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この連載をはじめた時、連載が終わる頃には夫婦別姓ができるようになっていて、私が書いているようなことはすでに過去のことになっているんじゃないかなと、思ったりしていた。それでも、自分にとって、妊娠と出産にまつわるあらゆることが不思議で、面白くて、腹立たしくて、信じられないことばかりで、すぐに過去のことになってもいいから書きたかった。
でも、実際は、夫婦別姓に関しては、むしろ後退してしまった。
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・・・現在、夫婦別姓ができない「先進国」は世界で日本だけだ。
・・・結婚する二人が、それぞれ自分の名字を保持してともに生きていくことが、なぜこんなにも難しく、そんなにも脅威なのだろう。
去年、あるお店で、大学を卒業したばかりで、これからどうしようねと将来のことを話し合っている女性の二人連れが隣に座っていた。何かの拍子に結婚の話になり、片方の女性が、
「あと私、結婚するなら絶対夫婦別姓がいいんだよね」
と言った。
もう一人の女性は、
「へー、こだわり強めだね」
と答え、そのやりとりは特にそれ以上はなく、二人は別の話題に移っていった。
調査の結果、七割が夫婦別姓に賛成しているというニュースも読んだことがあるし、夫婦別姓が「こだわり強め」という時期はとっくに終わっているように思うのだが、名字を変える、変えないは大半の人にはたいした問題ではない、と信じきっている人もまだまだ多いのかもしれない。
でも、この連載をしていた一年の間にも、私の周りの人たちに名字にまつわるいくつかの出来事があった。
友人の一人は、十年前に結婚した際に、夫の名字に変わったのだが、いよいよ自分の名字が奪われた状態が耐えられなくなり、去年の年末にペーパー離婚をした。
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数年前に彼女は起業したのだが、その準備の間に、いかにこの社会が世帯主を主体に考えているかを痛感した、いくつかの屈辱的な経験もあり、余計に名字を取り戻さなければならないと思ったという。
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そして、彼女はペーパー離婚してどうなったかというと、夫と「ラブラブ」になったのだった。
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ペーパー離婚に関して夫自身は、家族がこれまで通り仲良くいられるなら、それでも別にいい、という態度だったそうで、夫は私が苛立っていたのは育児の疲れなどが原因だと思っていて、名字を奪われた私の恨みには気づいていなかったんじゃないかと考えると少し脱力感はあるが、本当にペーパー離婚をしてよかった、と笑っていた。
また別の友人は、結婚することが決まって周囲に報告も済んでいたものの、やはり名字が変わることが嫌で、事実婚にしたいと相手に伝えたところ、彼はそう言うと思っていたと一度は了解してくれたのだが、本心では彼女が自分の名字にならないことがどうしても受け入れられず心身のバランスが崩れてしまい、結局、別れることになった。
・・・夫婦別姓ができれば別れずに済んだのに、という単純な話ではなく、これはもっと大きな、社会としての呪いの話だろう。
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あと、この二年間の生活を通して思うのは、今の形態の「結婚」のいいところが本当によくわからないことだ。
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最後まで、書こうと思いながら、なんだかほとんど書けないままだったことがある。
それは「母性」だ。
書けなかった理由は、あまりにもよくわからなかったからだ。Oを育てている間に「母性」というものへのヒントを得たり、これが「母性」や!という心境に到達したりするのだろうかと秘かに期待していたのだが、今のところ、特に手がかりはない。だいたい、あらゆることが心配でうわーってなったり、日々進化していく様に感動してうわーってなったり、なにかと、うわーってなる、この絶え間のないいろいろな気持ちを、私の気持ちを、「母性」にまとめられるって心外だ。知らんやろ、それぞれの人の、それぞれの気持ち。
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私は去年、何かのプリントを見ていて、そこに書かれていた「保護者」という言葉に、まるではじめて知った言葉のようにハッとし、しみじみと感じ入った。
「保護する者」って、ファンタジーの旅の仲間みたいで、かっこよくないか。誰かにOとの関係性を聞かれたら、「保護する者でございます」と答えたいくらいだ。
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最近よく感じるのは、私は今一時的にOの人生を仮どめしているだけなのだ、ということだ。Oがいろんなことを自分で決められるようになったら、その仮どめの糸をすっと抜く。すっと抜けるように、心構えをしておきたい。「保護する者」としては、そう思っている。