幸せとは?

ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)

 この方の文章の中にこういう考えが示されていると、改めて重みを感じました。

 

P226

 幸福についてあれこれ考えているとき、・・・鮮烈な印象の言葉にかつて出会ったことを私は思い出しました。それは二〇一二年に亡くなった思想家・吉本隆明さんの言葉です。

 吉本さんが雑誌の特集で、「幸せになる秘訣があれば、お聞きしたいと思いまして……」と問われます。吉本さんはまず、「そんなものがあるなら、僕が聞きたいよ」と言ってから、こう述べたのです。

 

「わたしたちはまえを向いて生きているんですが、幸福というのは、近い将来を見つめる視線にあるのではなく、どこか現在自分が生きていることをうしろから見ている視線のなかに、ふくまれるような気がするんです」

 

 改めてこの言葉を読んで、私はただ、うーんと唸ってしまいました。私がこれまで出会った中で、幸福について最も深い洞察を含む言葉だと思ったからです。

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 ・・・多くの人の幸福実現にとって共通する重要な問題・・・それは、「所有」と「存在」をめぐる価値観の対立の問題です。

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 「所有」と「存在」とは、言い換えれば、「持つこと」と「あること」の対立です。

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 私たちは往々にして「持つこと」「所有すること」ばかりを追い求めてしまう傾向があるのではないでしょうか。・・・

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 ・・・自閉的障害を持っている詩人、原田大助も、「ある」ということについて詠っています。原田さんは、常識的な意味での「生産能力」においては、相対的に制約された状態にあるかもしれません。しかし、ここに示されている<世界>を把握する彼の感性には、人間を含めたあらゆる「もの」の存在価値を私たちにずしりと確信させる力強さがあります。

 

 葉っぱだって石ころだって

 そこにあるだけで

 心を動かす力がある。

 それが〝ある〟ということなんかな

 

 星の光が見える

 星と僕は知らないもの同志やけど

 僕の心を動かす力を持ってるんやな

 

 僕だってそこに〝ある〟

 〝ある〟ものはみんな大切なんや

 

 ところで、私たちは自分の幸福について考えるとき、ややもすると他者の幸福の(こちらが勝手に推測している)度合いと比較してしまう傾向があるのではないでしょうか。こうした「相対評価」で幸福を比較するとき、その尺度になっているのが「持つこと」ではないかと思います。

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 しかし、本来幸福は「絶対評価」で考えるべきものではないでしょうか。他者との比較で自分が何を持っているかが重要なのではありません。他者とは比較できないもの、すなわち、自分の生き方や心のあり方をどう捉えるかが大切なのだと思います。

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 吉本隆明さんが語った「現在自分が生きていることをうしろから見ている視線」という言葉には、こうした意味も含まれているのではないかと私は思います。