この辺りのことは、本当に肝に銘じておかねばと・・・。
P195
大野 体の感覚を無視して、大変な目にあったことはありますか?
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吉本 ・・・
最近一番きつかったのは、深いところで自殺願望を抱えている男の友人とのつきあいです。その人といて、命に関わる事故にあったことが4回ぐらいあります。多すぎる、と思い気づきました。
自殺願望があることには本人も気がついていないのです。
だけど「それを理由に離れるというのは、いかがなものか」とずっと思っていました。でも、「そのカルマは私のものではないんだから、本人を信じよう」と思って、自分の問題とはとらえないようにしました。それが、一番の葛藤といえば葛藤でしたね。
大野 その友人に伝えたことはありますか?
吉本 しっかり言いました。「自殺願望みたいなものがあるから、もっと今をちゃんと見て」というようなことを。
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彼は過去に恋人を亡くしていて、その人以外はいやなんですよね。
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だけど結局、その人が自分や人を死のほうに引っ張ろうとするのは、「本当は生きたいという本能を持っているからだ」と気づいて、その人の本能を信頼することにしたんです。
私が一緒にいたから命が助かったのではなくて、その人の生きたいという力が私を逆に死のほうに引っ張っているので。ということは、「この人のことを手放しても大丈夫なんだ」と思って、心の中で独立してもらいました。これは、自分にとってすごく勉強になりました。
大野 なるほど、結果的に、彼は生きているわけだから、本当は深いところで生きていたいと思っていると……。
吉本 ・・・
・・・彼の本当の気持ちは、「死んで好きな人のいるところに行きたい」。
だから、かわいそうでしょうがないけれど、いろんな人を巻き添えにするより、まず一人で向き合ってもらいました。「信頼する」ということを私が決められたことが、彼にとってもいいことなんだと思っています。
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今もいろいろあるけど、まわりが彼を手放して心から信じたことが伝わってすごく変わりました。
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大野 ・・・
それじゃばななちゃん、事故で死にそうだったんだ。知らなかった!
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吉本 一度、本当に危なかった時がありました。それは、奇跡が起きて回避されました。私が何かに守られているというのは本当にありがたいことですが、まず「そこに近づいていくこと自体が、私の魂にとっての冒瀆ではないか」と思いました。
別に、その人を見捨てるとかではないのです。彼に愛は送っています。ただ、一緒にがんばろう!というのをやめて、信じることにしたんです。彼の生命力を。
P219
吉本 私はオハナちゃんという犬を飼っていました。出会いはペットショップで、オハナちゃんのすごくかわいそうな姿が目にとまり、体調も悪そうで、「私が買わなきゃこの子は捨てられるな」と思って連れて帰りました。
でも、やっぱり、すごく具合が悪くて、医者に連れて行ったら「長くは生きられない」と言われました。何年も何年もその状態で、私はずっと「かわいそうなオハナちゃん」と思って世話をしていました。・・・
でも子どもが小さかった頃は、あまりかまうことができませんでした。子どもがちょっと手が離れて、やっとオハナちゃんにかまえるようになって、ついに歳をとって死が迫った時に、オハナちゃんが「私、全然、かわいそうじゃないよ。なんでそんなこと言うの?」と全身で訴えかけてきました。それで、「待てよ」と「かわいそうと思ったら、かわいそうになっちゃうんだ」と思いました。
この両者の心のギャップがあまりにもすごくて、それこそ私の中でブレイクスルーが起きたのです。私が「かわいそうだから」と思って何かをしたら、それは全部、「かわいそうな存在」になってしまう。「そんなことはやるもんじゃないな」「かわいそうなまま生きていくというのはつまらないな」ということに体で気がついたんです。
大野 オハナちゃんが教えてくれたんですね。
吉本 私が自殺願望の友達をずっと見捨てられなかったのも、かわいそうなものが大好物だったからです。今はもう大好物じゃないから、手放せます。
手放したことによって、彼はかわいそうではなくなるんだと思います。
「私ってかわいそうでしょう」という光線と、「本当にかわいそうだね」という合致してたものがなくなるわけだから、お互いに解放されるのだと思います。
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大野 ばななちゃんは、自分の悲しみを外側の世界に投影していた。
吉本 投影して、かわいそうなものを世話してあげなきゃいけない。「それが自分の使命だ」とどこかで思っていました。・・・
ところが、ブレイクスルーしたあとは、私のところにやってくる犬と猫が変わりました。かわいそうな子たちは、来なくなりましたね。
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オハナちゃんのことと、あと陽気なうちの息子を育てたことが相まって気づきました。うちの子って、全然かわいそうじゃないでしょう。「かわいそうだから助けてあげなきゃいけない」というものに対して自分が必要以上に時間を割くことは、「相手をかわいそうな存在にするだけ」だということにしんから気づきました。
確かカルロス・カスタネダだと思いますが、すごく印象に残っている話があります。
道を渡っているカエルかカタツムリを「これは車にひかれるな」と思ってどけたら、ドン・ファンが「そんなことするもんじゃない」と言いました。「ひかれて死んだらかわいそうだとお前は思っているんだろうけれど、大きな間違いだ」と。ちょっと似ている話です。