ぼくの命は言葉とともにある

ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)

 そうなんだ・・・と初めて知ることがたくさんあり、また、ふだんのコミュニケーションはそのように成り立っていたのかと驚きました。

 

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 盲ろうの世界は宇宙空間に一人だけで漂っているような状態だと言いました。しかし、それは単に見えない聞こえないという状況を説明しているだけでなく、自分の存在さえも見失い、認識できなくなるような状況で生きていることを意味しています。周囲の世界が徐々に遠のいていき、自分がこの世界から消えていってしまうように感じられるのです。

 その真空に浮かんだ私をつなぎ止め、確かに存在していると実感させてくれるのが他者の存在であり、他者とのコミュニケーションです。つまり、他者に対して照射され、そこから反射して戻ってくる「コミュニケーションという光」を受け止めることによって初めて、自分の存在を実感することができる。他者とのかかわりが自分の存在を確かめる唯一の方法だ、ということです。

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 ・・・指点字というコミュニケーションの手段を手にした私は、学校に戻りました。盲ろう者としての新たな人生の始まりでした。

 ・・・私は閉じ込められていた地下の牢獄から解放されたような気持ちになりました。

 ところが、仲間たちが指点字でコミュニケーションを図ってくれるにもかかわらず、私はすぐに再び深い孤独を味わうことになるのです。というのも、一対一の会話なら何とかなるのですが、私以外に二、三人がいる場面になると、たとえ誰かが私に指点字を打ってくれていたとしても、途端に周囲の状況がさっぱりつかめなくなってしまったからです。

 まるで一列に並んだ活字が延々と続く、テレビのテロップを果てしなく読まされているようなもので、何がなんだかわからなくなるわけです。したがって、周りのようすも、周りの人たちが交わす会話の内容もつかめない状態でした。

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 そんな状況を変えてくれたのが盲学校の先輩で、全盲の女性のMさんでした。・・・

 ある夏の日の夜、私とMさんと、それから私のクラスメートの全盲の男子生徒のIの三人で、学校の近くの喫茶店に行きました。

 ちょうど夏休みの前だったので、寄宿舎に入っている私とIの帰省の話になりました。私の手に触れていたMさんが指点字を打ちます。

「M:I君はいつおうちに帰るの? I:うーんとね、二十二日に帰ろうと思うんだけどね」

 その瞬間、私の内部で何かが激しくスパークしました。この短いやり取りの中で、二つの新しいことが起こったからです。

 第一に、私に手を触れている人が、自分と別の人との会話を私に伝えたということ。つまり、私に話しかけるためにではなく、また、私と他の人の話を取り持ったのでもない、私以外の人間同士のやり取りを伝えた、ということです。第二は、自分と相手との発言をはっきり区別し、しかも、「直接話法」で伝えたということです。例えば、今のやりとりだと、それまでは次のように伝えられることがほとんどでした。

「I君は二十二日におうちに帰るんですって」

 意味としては、先のやり取りとあまり変わらないように思えますが、私には伝わる「情報の質」はまるで違います。

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 Iも指点字で私によく話しかけていましたし、私の盲ろう状態もよく理解してくれていました。しかし、「……なんだけどね」という彼特有の言い回しを、指点字で打つことはありませんでした。・・・また、「……ですって」という形で伝えられたら、「あぁ、そうですか」としか言いようがありません。けれども、Iの発言が正確に伝われば、例えば、

「二十二日とははっきり決まってないのか?どうせお前のことだから、だらだらしていて二十三日までいるんとちゃうか?もう、いっそのこと夏休み中、ずっと寄宿舎で寝てたら?」

「うーん、それもいいねえ。でも、それだと食事が出ないしねえ……」

 などとジョークを交えた会話が私との間に広がる可能性もあるわけです。

 盲ろう者となって私がぶつかった第一の壁は、コミュニケーション手段の確保でした。第二の壁は、そのコミュニケーション手段を実際に用いて、持続的に会話する相手をつくること。・・・そして、第三の壁は、周囲の「コミュニケーション状況」に私が能動的に参加できるようにすること。言わば、「開かれたコミュニケーション空間」を私の周囲に生み出すことだったのです。

 Mさんが始めたやり方は、指点字通訳の原則として、その後定着していきました。そして、このように開かれたコミュニケーションが保障されたとき、私は盲ろうになって初めて、「自分は世界の中にいる」と実感できたのでした。・・・