自己意識は・・・

皮膚感覚と人間のこころ (新潮選書)

 興味深く読んだところです。

 

P135

 ・・・中国古代の荘子は語ります。

 

 むかし、荘周は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきって、のびのびと快適であったからであろう。自分が荘周であることを自覚しなかった。ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が蝶となった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。荘周と蝶とは、きっと区別があるだろう。こうした移行を物化(すなわち万物の変化)と名づけるのだ。


 明け暮れにこうした心の変化が起こるのは、もともとその原因があって生み出されたものであろうか。〔いったい〕相手がなければ自分というものもなく、自分がなければさまざまな心も現われようがない。これこそが真実に近いのだ。それでいて、何がそのようなさまざまな状態を起こさせるのかは分からない。真宰―真の主宰者―がいるようでもあるが、その形跡は得られない。作用の結果は確かであるが、そうさせたものの形は見えない。実質はあるが姿形はないのである。・・・

 

 二〇〇〇年以上前の中国の哲学は、心身二元論から離れて自由です。

 身体とは別個の、心の存在が強く認識されるようになったのは、ルネサンス以降の近代科学の発展がきっかけであったと思われます。・・・なぜなら観察する主体を強固に設定しないと、実験科学は成り立たないからです。近代科学を創生したデカルト心身二元論に執着したことも理解できます。・・・

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 しかし、私は心身二元論を受け入れません。そうなると次に浮かび上がるのは「何が『自己意識』を作り上げているのか」という疑問です。

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 我々の自己意識は鼻風邪やブドウ糖やホルモンで簡単に変化するものなのですが、変化しつつも時間を超えて継続して存在する自己意識、それは、心と言ってもいいかもしれません。そして、その存在を「作り出して」いるのは左脳であると考えられます。・・・

 人間では、左脳が言語情報の処理にあたるのに対して、右脳は空間情報の把握を担っているとされます。この非対称性は、進化の過程で言語処理を担う領域の拡大に伴い、空間情報を処理する部位をいわば右に押しやってしまったためであると考えられています。・・・

 行動心理学の研究結果は、物事や行動の原因について、人間だけが、何かが主体的に行なった結果であると考える傾向があることを示しています。・・・

 チンパンジーと就学前の子供(三~五歳)に、重心をずらして立たせることができないブロックのおもちゃを与えるという実験が行われました。六一パーセントの子供は、なぜ立たないのか調べる様子を示しましたが、チンパンジーではその行動は認められませんでした。・・・人間は進化の過程で、出来事の原因を探索する性質を獲得したようです。時にそれは無意味な錯覚を起こしますが、一方で潜在的な危険、将来起きるかもしれない事故を防ぐために有効な能力であったことは間違いないでしょう。

 ガザニガ博士はさらに考察を深め、例えば宗教も左脳の所産であると主張しています。常に変転し、予測がつかない自然に対し、創世神話を構築して、その存在を説明しようとする。さらには人間集団の運営をうまく遂行するために様々な宗教的倫理を作り出す。・・・

 自然科学もまた左脳の創造物です。混沌とした世界の中に、何らかの法則性や意味を見出そうとする意識、それは物事のつじつまを合わせようとする左脳の仕業でしょう。そして自然科学の発展が、様々な問題を起こしつつも、人類の繁栄につながってきたことは否定できません。

 左脳は、宗教を創り、科学を発明し、その過程で強固な自己意識も確立してきたのです。