こういう姿勢、なんかいいな・・・と思いながら読みました。
P282
1845年、日本で言えば明治時代のころに、ヘンリー・デイヴィッド・ソローという人が湖のほとりに住んで、自給自足の日々を本にした。
この『森の生活(ウォールデン)』という本が書かれたのは、ヒッピームーブメントが起こるずっと前だけど、ヒッピーにとってはバイブルのひとつらしい。そこから引用しよう。
たいがいの人間は、比較的自由なこの国においてさえ、単なる無知と誤解とからして、人生の人為的な苦労とよけいな原始的な労働とに忙殺されて、その最もうつくしい果実をもぐことができないのである。かれらの指は過度の労働のため、それをするにはあまりに無骨にあまりにふるえるのである。じっさい労働する人間は毎日真の独立のための閑暇をもたない(神吉三郎訳)
おお、なんと素晴らしい文だ。まるっきり山奥ニートじゃないか。
ソロー、あなたに名誉山奥ニートの称号をあげます。そんなもん要らんって?まぁそうか。
一方で、全然違う点もある。
ヒッピーは文明以前の原始的な生活を目指した。
髪やヒゲを切らず、工業製品ではない手織りの服を求め、玄米や野菜を中心とした食事をした。
山奥ニートは違う。どっぷり文明に浸かっている。浸かりすぎてややふやけている。それくらいでいい、輪郭なんて文明と同化してしまえばいい。
インターネット大好き、スマホ大好き、ドローンやVRなどの最新技術のニュースを見ると気分が明るくなってくる。
自然をないがしろにしているつもりはないけど、「母なる地球」とか「自然に帰れ」とかそういう主張にはてんで興味がない。
添加物が入っていても、おいしくて安いものを食べたい。別に長生きしたくないし。
お金がないのと、店まで買いに行くのが面倒だから、お菓子を買ってくることはあまりないけど、お土産に持ってきてもらったものはあっという間に消費される。
畑も少しはやるけど、自給自足をするなんていう志はない。単に食費の足しになればいいと思っている程度だ。
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・・・細かい違いはたくさんあると思うけど、山奥ニートとヒッピーの一番わかりやすい違いは、山奥ニートには思想がないってこと。
ここに集まっているのはエリートでもアーティストでもない。
本当にどこにでもいる、普通の人。
だから、全員に共通する政治的主張はない。ヒッピーはベトナム戦争に対して「ラブ&ピース」を叫んで抗議したけど、僕らが叫びたいことは特にない。
そりゃまあこの国の労働環境や学校制度を嫌だと思ったから山奥に来たのはあるけど、今さらそれを言ったところでこの制度が変わると思ってない。
僕らが人里離れた場所に集まったのは、何かの活動ではないし、イベントでもないし、商売でもない。
これはただの日常だ。
集まったのは、なるべく働かないための生活の知恵。
もし、ここより生活費が安い場所が見つかったら、多くの人は出ていくだろう。
山奥ニートの仲間意識は紙のように薄い。
・・・
ヒッピーの共同体のほとんどは、継続的な運営ができずに数年で消えていったという。
理由はいろいろあるだろうけど、だんだんと原理主義になったり、逆に俗になったりしたことで分裂していったと言われている。
山奥ニートは最初からバラバラだし、方向性もない。いわばただの同居人。だからこそ、山奥がお得な場所であるかぎりは、細々と続いていくんじゃないかと思う。
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ぼくらはのんびり、ひっそりと暮らしていければそれでいい。
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目指すのは「持続可能なニート」だ。
ニートについて理解ある風の人がよくこう言う。
「モラトリアムの時間は、人生において意味のあることですね」
ニートって執行猶予でしかないんだろうか。いつかは卒業しなきゃいけないものなのかな。
僕は逆だと思う。ニートは人類が目指すべき場所だ。
食べ物の生産効率は上がった。なのに、労働時間は全然減らない。
もっと楽できるはずだ。
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ニート原理主義者は少しでも働いたらニートじゃないって言うけど、お金をまったく持たないニートは珍しい。大抵のニートは送迎をしたり、洗車したり、家電のセッティングをしたりして家族からお小遣いをもらっている。
山奥での仕事は普通のアルバイトの雇用者と労働者の関係より、そういった家族からお小遣いをもらう関係のほうがずっと近い。
地域の人から頼まれごとをしているとき、ふと思う。
「僕がこの山奥で生まれ育って、親から言われて同じことをやらされていたら、こんな風に喜んでやるだろうか」
絶対やらないと思う。
きっとそれは、自分がそうすることに納得できないからだ。やってることは同じでも、僕は自分の意志で山奥に来て、自分がしたいから仕事を手伝っている。
納得するための理由は、その人の中にしかない。それが合理的じゃないことも多い。でも、人の強い原動力は思い込みからしか生まれない。
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僕は「持続可能なニート」をしたい。そのために、少しは働く。そのことに僕は納得している。
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以前、バラエティ番組に出してもらった。内容はニートと社長が討論するというもの。
山奥ニートに興味を持った有名珈琲チェーンの社長さんが、こう言ってきた。
「今、ソーラー発電の投資が盛んなんです。山奥ニートさんが管理してくれるなら出資しますが、どうですか」
僕はこう言った。
「えっと、週1でいいなら……」
社長さんは呆気にとられていた。・・・だってなんか大変そうなんだもん。
この資本主義社会じゃ、みんな生活を人質に取られて、手足を縛られてる。でもニートは違う。札束で顔をひっぱたかれても、働きたくないと言える。それはある意味、総理大臣より強い。
・・・
別に僕の価値観が世の多数派になってほしいなんて思ってない。
山奥に住んだら誰でもハッピーになるか。絶対そんなことない。
でも僕にとってこの場所は理想郷なんだ。
この山奥に来たとき、死んでもいいやって思っていた。
遠回りな自殺のつもりだった。
平均寿命まであと50年もあるなんてウンザリする。
今でも長生きなんかしたくないと思ってる。
でも、この山奥の行く末を見られるなら、ほんの少しは生き続ける意味があるのかな。