高次元世界へ還る道

地球生命系での霊的進化、覚醒、アセンション 高次元世界へ還る道 エドガー・ケイシーとロバート・モンロー(ヘミシンク)の世界

 

 坂本さんと光田さんの対談本、興味深く読みました。

 出版記念講演会のお申込み、まだ間に合うようです(18日のお昼まで)⇒

【「高次元世界へ還る道」発売記念】坂本政道・光田秀 講演会開催! - 徳間書店

 

P207

光田 バシャールが言うような「オーバーソウル」(過去、現在、未来を同時に見渡せる高次の魂)という概念は、ケイシーの中にはない考え方です。

 

坂本 オーバーソウルという言い方はモンロー研でもしていませんが、モンローは「トータルセルフ」とか、I/There(アイゼア、向こう側の世界の自分)という言い方をしています。

 それは自分の今までの過去世全部の集合体で、プラス、現世の自分がもう何人かいれば、それも含めたものです。

 

光田 現世の自分も複数いるんですか?

 

坂本 モンローのI/Thereの一員に、同時代のロシアの女性がいたそうです。

 彼女はモンローのヘミシンクと似た研究をしていて、万一モンローがうまくいかなかった場合に備えて彼女が開発していたのだそうです。

 I/Thereはいろいろな過去世の自分の集合のことで、視覚的にはいろいろな形でとらえられるし、実際そこにアクセスできます。

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 その中の代表格みたいな存在が何人かいて、それが今の自分を導いているという見方をしています。

 

光田 ガイドは自分自身の一部なんですね。

 

坂本 それに加えて、I/Thereのメンバー以外のガイドもいます。

 私の場合は、亡くなってからのモンローが私のガイドをしていますが、彼は私のI/Thereのメンバーではないです。ガイドは、ずっと上のレベルの存在の場合もあるし、普段はもう少し下の存在が導いてくれているという感じです。

 さらに話を続けると、I/Thereが存在するのは、フォーカスでいうと35です。

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 42まで行くと、自分が属するI/Thereとか、自分と関連するいろいろな人たちのI/Thereがつながってひとつの大きな集団を作っていて、それを「I/Thereクラスター」とモンローは呼んでいます。

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 さらに上のフォーカス49というレベルにはまたさらに大きな集団があって、レベルが上がるごとに集団がどんどん大きくなっていくわけですね。

 フォーカス49には地球やこの銀河系だけでなく、ほかの銀河でも生命体験をしている魂の一大集団があります。これをI/Thereスーパークラスターと呼ぶ場合があります(モンロー自身はそう呼んでいなかった)。

 その全体を代表するような存在がいるんですが、ほとんど神様みたいな存在ですね。

 

光田 なるほど。

 

坂本 フォーカス49まで行くと、それぞれ高次の存在と目されている存在が、自分のI/Thereスーパークラスターの代表として出てきます。

 たとえば観世音菩薩とか大天使ミカエルとか古代エジプトのトート神とか、そういった存在が10人ぐらい、同じ存在を世界各地でいろいろな呼び方で呼ぶこともあるので、どうとらえるかは人によって異なります。

 一般的にはI/ThereやI/Thereクラスター、あるいはI/Thereスーパークラスターのどれかをオーバーソウルと呼ぶようです。

 

光田 オーバーソウルに近いかどうかわからないですが、ケイシーがリーディングする時、必ず❝We❞と言います。なぜ「我々」と言うのかなかなか私もわかりませんでしたが、ある時、その理由がわかりました。

 ケイシーも、ごくまれに、催眠が浅い時には〝I〟「私は」と言いました。でも深く入っていくと、すぐにWeが主語になります。

 なぜその単語を使うかというと、ケイシーもずっと高い次元に行くと、だんだん過去世の自分たちと交流、融合しはじめるからです。

 そこで言う我々とは、彼に寄ってきた全然見知らぬ魂のことではなく、あくまでも彼自身の過去世の意識たちが融合して大きくなるからこそ、Iでは表現できなくなってWeなんだと。

 

坂本 モンローで言うI/Thereみたいなものですね。

 

光田 そうです。まことにまことに。なので、私も自分の過去世をいくつか教わりましたが、「それは記憶ではなくて、今でも意識活動しています」と江原さんに言われました。

 私が講演会をやると、寺子屋をやっていた時の意識が私の中に入ってきて、やりやすくなる。翻訳を始めると、仏典をひたすら訳していた過去世が乗り移るようにして助けてくれる。記憶ではなく意識活動をしていて、それらと交流することができるんです。

 そして我々にとって重要なのは、個人で生きると、ものすごく生き方が薄くなってしまうという事実。だってそれは、顕在意識だけで生きるということですから。

 それは生きるうえで迫力がないし、もったいないし、自分らしくないので、できるだけ自分の深い意識と合流しながら生きることこそが、我々の人生を充実させることになります。