現実感のなさについて

脳は回復する  高次脳機能障害からの脱出 (新潮新書)

お妻様に「井上陽水」とネーミングされたのは、こんな症状・・・解離症状がある方にお会いすることが多いので、とても参考になりました。
症状の当事者感覚は近しくても、脳の機能に由来してその症状が出ている方と、精神的なことからその症状が出ている方とは治療法が違う、とまでご自身でしっかり分析されてました。

P69
 これは、病後の僕が訴え続けていた「僕が僕でない感じ」「羊水に包まれた胎児のように、何か見えない膜を介して現実世界に接しているようで現実感がない」という違和感の、羊水をもじって井上陽水である。
 改めて考察すると、この症状は、あらゆる感覚・情報がソフトで鋭敏さを欠いて感じられるもので、当時のメモを見ると、「全身をサランラップでグルグル巻きにされたような」とも書いている。
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 いやはや当事者認識とは本当に難しい。単にシャッキリしないとか自分が他人ぽいとか世界が作り物っぽいとか言えば、健常者サイドはせいぜい「ぼんやりしているんだな」程度の理解だろうし、病前の僕だったら間違いなくそう思っていた。その状態にあることの苦しさについてまでは、想像が及ばなかったに違いない。
 いや、単にぼんやりしてるんじゃない。この状態が四六時中続いているというのは、猛烈な閉塞感・窒息感がある。入院中の僕は、その現実感のなさから逃れたくて、自分の身体を鋭い刃物で切り刻みたいという強い衝動に駆られた。さすがに身体を切り刻むような激しく鋭い痛みがあれば、自分の身体を自分のものとして認識し現実世界に一気に戻れるのではないかと思ったからだ。
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 これが解離や離人の苦しみだというのなら、まったくもって想定外だ。「自分が他人のようだ」が「身体を傷つけたい」や「死んで楽になりたい」の理由になるとは、さすがに当事者になってみなければ分からないことだった。井上陽水、奥が深い。
 さて、では僕が陽水さんとお別れするには、離人の治療をすれば良かったのだろうか。というと、それはそれで違うと感じている。なぜなら「当事者感覚は近しい」と断言できる一方で、多分その原因が違うからだ。
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 現在の脳が健常に近いとしたら、脳梗塞後の僕は同じ思考に二十倍近くの時間をかけていたことになるが、ポイントは「脳の情報処理能力の質」の低下ではなく、あくまで情報処理「速度の」低下であること。急いでやれないだけで、ゆっくり時間をかければ病前にやれた脳内の処理=思考はおおむね可能だ。そして病後、僕の中でこの脳の速度が取り戻されていくことと、僕の中の現実感の回復は連動していた。
 ならば、こんな推論が成り立つ。
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 ・・・病後の僕の反応速度が1だったとしても、同時に僕の中には病前の「二十倍の反応速度で生きてきた身体感覚の記憶」も残っている。その身体感覚の記憶と、病後の実際の身体感覚のギャップがあらゆる知覚のシーンで積み重なった結果として、僕は世界に現実感を失い、僕自身をリアルに感じられなくなったのではないか。・・・
 もしかすると、実際に離人や解離の診断を受けている当事者の脳も、こうした情報処理の遅延が自己防御的に起きているのかもしれない。
 とまあ、これはあくまで推論に過ぎないし、脳機能のしくみは非常に専門的な分野だが、・・・素人なりに考えてみて、一番しっくり来た解釈がこれである。