踏み出す一歩は小さくていい

踏み出す一歩は小さくていい: 就活60社”全落ち”が、ケニアでアパレルブランドをはじめた理由

 たまたまアフリカでビジネスを始めた方の本を続けて読みました。

 ケニアでアフリカ布に魅了された著者が、小物や服を作って売ろうと動き出した過程が、その前後含めて書かれています。

 とにかくやりたい、という気持ちで動くって、幸せなことだなーと思いました。

 

P62

 過去を振り返っても「今の私にはできない」と後回しにして、「やりたい」気持ちをことごとくつぶしてきたのは自分自身だったと思う。するべきなのは「できない理由探し」じゃなくて、「できる方法探し」だ。

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 日本で会社員をしていた頃に比べて、年収は4分の1にも満たないほどに下がってしまったけれど、お金への思考は大きく変わった。

 

①〝いくら貯めるか〟よりも〝なにに投資するか〟が大事。

②お金がなくなったら稼ぐ方法を考えればいい。

③出ていくお金を気にするのは時間の無駄。

④お金がなくても幸せを感じる方法はそこら中に転がっている。

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 マインドを変えれば、人生を楽しめるようになる。

 

P145

 私はケニアでの暮らしが楽しい。そう思えるのはこの環境を受け入れ、なにかできないことがあっても環境のせいにはしていないからだと思う。

 移住当初、驚いたのはいきなり停電になっても、誰一人動じないことだった。なにもなかったかのように会話は続いているし、食事する手も止まらないし、パソコンの操作もそのまま継続。「停電しているように見えるのは私だけ?」と本気で疑ったぐらい、周囲の様子はなに事もなかった。それぐらい日常的に停電が起きるのだろうけれど、停電ぐらいでは全く動じないケニアの人たちが私にはたくましく見えた。

 それに挨拶は人を元気にすることを私はケニアにきてから、しみじみ実感している。日本にいるときは、相手の目を見ない挨拶、義務的または儀礼的な挨拶、建前だけの挨拶、みたいな感じがありがちだった。でもケニアでは、知らない人でも必ず笑顔で挨拶が返ってくるし、みんなしっかり目を見てくれる。別れ際の「Have a nice day!」も、とても気持ちがいい。

 そんなケニアで暮らして、自分自身の考え方も随分と変わった。

 第一に相手の顔色を窺わず、「私はこう思う」と言えるようになった。日本にいた頃は、とにかく空気を読むよう求められている気がして、まずは様子見していた。でもケニアでは「あなたはどう思う?」と相手も求めてくるから、躊躇なく自分の意見を言える。当たり前なのだけれど、日本ではそれがなかなか難しかった。

 日本だと「本音と建前」みたいな使い分けを、日常生活でも当たり前のようにやっていた。それでストレスがたまって疲れてしまうときもあって。今思い返せば「なにやっていたんだろう」と我ながらおかしい。ケニアにきてからは「私は嫌」「私はこう思う」「手伝って」など全部本音で話したり、お願いしたりできるようになった。こう言ったら相手は嫌な気持ちになるかな、とか考えなくても全然大丈夫。私の言葉を誰も否定しないし、相手も本音で返してくれる。それだけで本当にストレスとは無縁になれる。

 同様に、日本人がやたら「すみません」や「ごめんなさい」と言うのも、なにか違うと思うようになった。とりあえず挨拶みたいに使っている言葉かもしれないけれど、謝罪するよりも「ありがとう」と言った方が相手に伝わるメッセージもポジティブになる気がする。

 食事の場面でも周囲に気を使わず、楽しめるようになった。日本では大皿の料理を取り分けたり、お酌したり、みんなに気配りしていたけれど、今では「食べたいもの、好きなだけどうぞ」「セルフで飲んでね」と放置。その方がお互い楽だし、楽しく食事ができると分かった。

 目が合ったら、知らない人でも「ヤッホ!」「元気?」と言葉を交わすのも好き。「俺の妻はキレイだし、子供はいい子なんだ」って、ケニアの人たちが当たり前のように家族を一番大切にして、自慢してくるのもいいなと思う。あと「楽しんでる?」「幸せ?」とやたら聞いてくるので、「うん、楽しいよ」「幸せだよ」と私も返事をすると、その瞬間、瞬間が幸せな気持ちになる。

 現実は厳しくて、「今日食べるために今日を生きている」人たちが多いケニア。なのに、みんな楽しそうにダンスをして、笑いながら家族や友だちと話をして。日本人が彼らから学ぶことはたくさんある。少なくとも私は、生きていくうえで大切なことをたくさん教えてもらい、人生観が変わった。