久しぶりに浅見帆帆子さんのエッセイを読みました。
P50
Xさんは、友人たちとの旅行先で「自分だけ〇〇がない」という体験をしました。
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これを見ていたXさんの友人は「彼女はいつも自分のことを大事にしていないから、他者からも大事に扱われないのかもしれない」と言いました。
いつも人のことを気にかけて自分の本音を言わない……これは、Xさんに対して同行していた誰もが感じていたことでした。・・・
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・・・それが本音であってもなくても、理由もなく自分を一番最後にする(自分を大切にしていない)エネルギーが、ハズレくじをXさんの元に集結させる結果となったのです。ある意味、「Xさんの思い通り」のことが起きています。
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自分を大事にするとは、決してエゴやわがままではなく、「自分も他人と同じ大切なひとり」として扱うことなのです。
P56
先日、読者の方からこんな質問がありました。
「浅見さんはよく『自分を褒めてあげる』という表現をされますが、私は自分のことを褒めると妙な罪悪感が残ります。自慢しているような感覚にもなります。自然に受け入れられる自画自賛とはどういうものでしょうか?」
という内容でした。
私の捉えている「自画自賛」とは、自分のしたことをきちんと褒めてあげる、というものです。例えば同じことを他人がしているときに「よくやっているなあ」「頑張っているなあ」「えらいなあ」と思うのと同じように、自分がやったことに対してもきちんと認める、ということです。
当然のことですが、日常の小さな作業は他の人には見えません。「わかってもらうほどではないけれど、それなりによくやった」と感じること、ありますよね?それをいちいち認めて理解してあげるのは自分にしかできません。そして小さなことでも褒めてあげると、自分の気持ちが良くなります。そして次のやる気につながるのです。・・・
P59
今の自分に点数をつけるとしたら、何点ですか?
あるとき友人にこの質問をされ、その場にいた私の母が即答しました。
母「100点だわ~笑」
私「私も100点だな」
友人「だよね~⁉私もそうだったんだけど、大半の人は60点とか70点とかつけるんだって」
と聞いて納得でした。私も「100点」と答えましたが、「でも自分の欠点に意識が向いている人は100点にはならないだろうなあ、そして日本人はほとんどがそっちのタイプだろうなあ」と思っていたからです。
自分の欠点や足りないところ、または他者との比較を基準にすると、もちろん私も自分に100点はつけられません。50点も難しいような気がします。
ですが、その「自分に足りないところ」を助けてくれる人がたくさんいたり、今日も笑えることがあったり、やりたいことがあったり、人を含めいろんなもののおかげで自分が成り立っていると思うと本当にありがたい……という「満足度」という視点で見ると、間違いなく100点なのです。こんなに足りないのにこんなに楽しく過ごさせてもらえているなんて、間違いなく100点です。
面白いことに、私から見て人生を楽しんでいる人たちは、だいたい「100点」と言い切ります。
その人たちに共通していることは、今自分に足りないものではなく、「今自分にあるものにフォーカスしている」ということ。あるもののことを考え始めると、感謝と幸せが湧いてくる……ですので、実際のその人の状況がどんなものでも、たいてい同じような答えになるのです。