いろんな人がいて・・・

小心者的幸福論

ほんとに人それぞれ、いろいろだな~、だからいいのですよね~と思いつつ読みました。 

 

P210

 ・・・最近、ある人から非常にシビれる言葉を聞いた・・・高円寺の路上で鍋をしたり「家賃をタダにしろ」デモをしたりしている貧乏人コミュニティ「素人の乱」の松本哉さん。ネットでコラム連載などを持っている彼はそんなに真面目に〆切を守って書いているようには見えないのだが、その理由として挙げた言葉は「忙しいから」というものだった。で、何が忙しいかというと、「友達とかと酒飲まなくちゃいけないから忙しい」ということで、まぁ一言で言うと「遊ぶのに忙しいから原稿書いてる暇などない」ということだったのである。

 ・・・

 これは使える、ということで、私もそれから「酒を飲むのに忙しいから今日は仕事どころではない」といった感じで利用させて頂いている。

 

P215

 ・・・私自身も、尊敬どころか信頼もできない相手との仕事で神経をボロボロにすり減らした経験がある。

 しかし、そんな時に思ったのは、「私は今まで、頭のてっぺんから爪の先までパーフェクトに尊敬できる相手と会ったことがあるだろうか?」ということだ。そう考えてみると、35年間生きてきて、いまだにそんな人は一人もいない。素晴らしい仕事をしているなーと憧れる相手にも無神経な一面があったり、聖人ではないかと思うような人でも長くつきあっていると酒癖が悪いなどの欠点を発見したり。そう思うと、「すべてにおいて尊敬できる人」に会える確率なんて、一生のうち一人いるかいないかくらいのものだろう。・・・

 一方で、「あの人のすべてを尊敬している!」という状態も危険だ。だいたいの場合、狂信的な宗教に入っているか・・・とにかくそっち系の精神状態によくある思考停止モードだからだ。

 さて、ここまで書いてきて、「幸せ」とはなんだろう、ということを改めて考えている。

 ・・・ひとつ言えるのは、「幸せになりたいとあまりにも強く思いすぎている人」は、「重い」ということだ。・・・なんだか「必死」感が出てしまった時点で幸福からはどんどん遠ざかっている気がする。

 最近、この本にも登場するAKIRAさんと対談する機会があった。その時に印象に残っている言葉は以下のようなものだ。「人は〝幸せ〟になるために生まれてきたわけじゃない。様々な経験をして〝学ぶ〟ために生まれてきたんだ」

 この言葉によって、私は「幸せにならなきゃいけないのでは」という圧力からも解放された。同時に、「人生」というものに対して、何か謙虚な気持ちも芽生えてきた。なりふり構わず自分だけが幸せになろうとするのではなく、たとえ嫌なことだらけの人生でも、「学ぶ」ために生まれてきたのだと思えばなんとなく納得しないでもない。「学ぶ」というとなんだか堅苦しいイメージがあるが、どんなにくだらなく、馬鹿馬鹿しいことでもあらゆる体験自体が「学び」だ。

 で、そんなふうに思ってからの方が、不思議と幸福度が高くなったような気がする、ということも最後に付け加えておこう。