魂の自分を追求していけば自分は消える、「自分を習う、自分を知るというのは、自分がいなかった、自分というものを忘れることだ」という辺り、とても印象に残りました。
P123
阿部 最後に、もう一回だけ箇条書きでポイントを伝えたいです。
* 願いをかなえようとするのではない。既に願いがかなっているあなたを生きるのだ。
* 起きている現実、こうだったらいいなという現実はいっぱいあると思いますが、その現実を改善するために願うのではない。願いそのものになるのだ。なぜならば、これを改善するぞと言った瞬間に、改善しなければいけないことが既に現実となる。それが引き寄せられてしまうから、かなっていることをやる。
* 今起きていることがどんなに大変なことだろうと、どんなに忌まわしいことだろうと、その中のよさを探す練習をする。
* 我々が日々やることは、いい気分を感じようとすることだけだ。あとはあなたが必要なことはやっていくから、計画する必要はない。
奥平 とにかく、自分というものは、それほど創造力を持った存在なんだということを自覚してほしいです。
P152
奥平 ・・・本当に自分が満たされてきたら、本当に現実は変わります。
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そこで、「ああ、本当に『自分』イコール『世界』なんだ」みたいなところに行けるんです。
阿部 すごい重要なことをサラッと言うじゃない。僕は、今みたいな言葉を、すごく仰々しく、「実はね、我々の意識が世界をつくっているんですよ」と言うわけです(トーンを低めて)。「私たちの世界は意識がつくっているから」みたいに言うからひっかかりがない(笑)。そういうところはドラマチックに言わないと。でも、そのとおりです。それも真実のズバリそこです。あなたの意識が、瞬間、瞬間つくっているのです。
これも個別に私が存在していると思っているから、私という思いも、私という個人の思いだと思ってしまうから、なかなか伝わりにくい。あなたは全体なんですよね。
これをやりたいとか、いろいろな望みとかが出てくるのも、結局、思わされているのです。
思わされているし、生かされている。一から十まで、我々はさせられている。
今だって目を開けていて、あなたは自分の意思で見ていると思っているかもしれないけれど、見せられているのです。もしあなたが自分の意思で見ているのだったら、目を開けたまま、見るのをやめてごらん(笑)。できない。聞くのをやめてごらん。できないから。
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そういうことが刻々と起きているんですよ。何ひとつ、我々は自分の力でやってない。全部生かされている。思いも何も、あなたが考えているのではなくて、湧いてきている。感情も、選択も、衝動も、全部そうです。
奥平 だから、そこに乗っかっていけばいいだけなんです。そうしたら、幸せで、楽しくて、喜びいっぱいに本当になります。
阿部 さっき言いたかったのは、僕も勇気を持って自分の本音を言うように、本音を生きるようにした。今、ガンガンいろいろなことが変わっているけれど、本音を生きるようにしている。そうすると、さっき言ったようにワクワクしてくるわけです。それまで、ワクワクから入ろうとすると、気分が落ちているときもあって、そういうときは「バカヤロー、今ワクワクなんかできるもんか」と、奥平亜美衣に対して腹が立つわけです(笑)。ところが自分の選択を生きていると、ワクワクしてくる。そうすると、あなたが言ったように、状況がどんどん変わってくるわけです。これはもしかしたら、まず正直な自分を生きるというところから始めるのも1つの手かなと思いました。だってワクワクはついてくる。
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奥平 魂というのは、そもそも好奇心なんです。だから「楽したい」とかはダメだと言っているのです。
阿部 いいことをサラッと言うね。「そもそも魂は好奇心」。すばらしい。それが創造につながっているわけですよね。
その好奇心をなめちゃいけない。宇宙があなたという人を創造して、今度は創造されたあなたが創造することで、宇宙は間接的にその創造を楽しもうとしているわけです。そのあなたに創造してもらうために与えた力が好奇心です。
奥平 そうです。好奇心を忘れなければいい。でもみんな、現実を見て「稼がなきゃ」とか、そういう方向で抑えつけているから、うまくいかなくなる。
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阿部 もっとおおらかな気持ちで、私を生かしているものは無尽蔵の、無限の創造性であり、この宇宙には無限の豊かさがあり、私はその全てを創造できるだけの能力が既に与えられているのだと。これは事実だと僕は思っていて、そのことを思い出すというのはとても大きいことだね。
P202
奥平 ・・・本当の自分、つまり魂の自分を追求していけば、自分は消えるということです。魂の自分の思いをちゃんと受け取って、そのとおりに生きていると、全体の中の1つの役割を生きているんだということがわかってくる。結局、自分の思いをそこに合わせると、自分なんだけど、自分が消えるわけです。
阿部 道元の言葉で言うと、仏道とは、自己を習うこと、自分というものを知ることです。そして、自分を習う、自分を知るというのは、自分がいなかった、自分というものを忘れることだという言い方をしています。したがって、仏教は「無我にて候」という言い方をします。それ以上の真実も、それ以下もない。
ところが我々は、「私が」というその私を、本当に心の底から信じているから、これがなかなかしぶとい。その「私」がいろいろな邪魔をしているわけです。あっさりそれを手放して、全体だというところに委ねなさいということしか、結局のところ言ってない。「下流に向かって泳ぐ必要もない」と言っているわけでしょう。
奥平 そうです。流されればいい。
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ただ、自分を知れば知るほど、本当の望みとか、何がこれから起こってくるかがわかってくるから、「アッ、引き寄せた」みたいな感覚には確かになります。
阿部 ということは、あなたの本当の気持ち、本当にやりたいことというのは、あなたという個人の欲求ではないということだよね。全体の欲求なわけです。
奥平 思わされているだけです。自分だけど、全体の一部なんです。