本とはたらく

本とはたらく

 あ、矢萩多聞さんの新刊がある、と手に取ったら、以前読んでとてもおもしろかった「偶然の装丁家」の、増補改訂版でした。

 前回読んだときはさらっと流れてしまった気がするこのエピソードが印象に残りました。

 

P85

 ぼくの母方の祖父はお酒が大好きでシラフのときがないような人だったが、毎朝、神さまへのお祈りは欠かさなかった。

 家には仏壇はもとより、キリスト像、マリア像、ヒンドゥー教の神々、天照大神不動明王、観音様、弥勒菩薩ブードゥー教の神さま、関羽霊長、バッカスにいたるまで大小さまざまな神さまが祀られていた。それらの神々に長ながとお祈りを捧げてから、ビールを一杯。それが朝の日課だった。

 子どものころ、ぼくはふしぎに思い、おじいちゃんはどの神さまを一番信じているの?と聞いてみた。すると祖父は軽く笑って、きっぱり答えた。

「どの神さまも信じていない。お祈りを楽しんでいるんだ」

 あまりにも酔狂な返答で、そのときは意味がわからなかったが、いまはわかる気がする。

 日々の暮らしのなかのちいさな出来事を型にはめて理解するのではなく、もっと大きなふかぶかとした流れのなかで受けいれる。なにを信じ、どう生きていても、ゆるがないものがある。ゆらぐものがあるとすれば、それは人間だけ。

「自分がよいと思ったことを受けいれ、信じなさい」という言葉がヒンドゥーにはある。どんな宗教や民族のものであっても、いまのぼくに響くなにかがあれば、それを信じる。迷信や御利益主義だとしてもかまわない。善も悪もなく、人間の矛盾まるごとで命のゆらぎを感じる。

 他者を受けいれ、祈りを楽しみ、工夫することを忘れない。それが、ぼくなりにインドでつかんだヒンドゥーの生き方だ。