こちらは宮部みゆきさんとの対談です。
以前に他の本でも、このような病との付き合い方を目にしたように思いますが、興味深かったです。
P203
宮部 江戸時代には、今のように医学が発達していないので、簡単に人間が死んでいるんですよね。だからこそ、還暦を迎えられたら、それだけでおめでたかったんでしょうね。
杉浦 そうなんです。現代人は病や死を理不尽なものと考えていて、タブー視していますが、江戸ではそれが日常で、生と死がフィフティー・フィフティーだった。だからたとえ不治の病に冒されたとしても、それを何かの因縁だとは考えない。生まれる前のことがわからないように、死んだ後のこともわからないんだから、むやみに嘆くことではないって。
宮部 たまさか縁あって現世にいるけれど、他の世を知らずに現世を一番と考えるのは、どうかしてると。
杉浦 生まれてきたのは祝福するけれども、赤ちゃんがみんな泣いて生まれてくるのをみると、あちらの世界のほうがよかったんじゃないかって。
宮部 笑って生まれてくる赤ちゃんはいないですものね。しっかり拳を握って、身構えて出てくる。
杉浦 憤怒の形相で出てきますからね。
宮部 本当に。
杉浦 死んだ人にも「さようなら」ではなく、「行ってらっしゃい」なんです。「往生」って言いますでしょ。死亡、つまり死んでなくなるのではなく、往生、彼岸に往って生まれるということです。
宮部 とはいえ、子供の死亡率はかなり高かったんですよね。
杉浦 疱瘡などのはやり病が多くって。江戸の人たちは、子供の疱瘡が軽くすみますようにと願って、疱瘡神を神棚に祀っていました。病がきたら機嫌よくお帰りいただくために。そのためには、礼を尽くす。おもてなしして、命まではとらないでくださいとお願いするんです。これはヨーロッパでは考えられないことだそうです。あちらでは、病は駆逐するものなんですね。あくまでも「闘病」なんです。それに引き替え、日本の江戸では、病は「平癒」するものだった。
宮部 病と上手につきあっている。
杉浦 つまり病は未知の世界からきたメッセージであると考えているんですね。何か用があるから訪れているんであって、その用件を聞いてからお帰り願う。用件も聞かずに追い出したら、暴れるのは当たり前だと。
宮部 やさしくて美しいですね。日本人が久しく忘れていた考え方のような気がします。
杉浦 ほんとですね。
宮部 近代になって、封じ込められたり切り捨てられてしまったものの中に、こういう考え方もあるんでしょうね。
杉浦 今の暮らしは、人間がいかにも偉いもののようにまかり通っていますよね。だから人間にとって不要なものは切り捨ててしまう。江戸では蚤や虱などの虫とも「共生」していたんですよね。刺されて痒いので、布団と畳の間に油紙を敷いて蚤や虱があがってこないように工夫する。少しは刺されるけれども、それは我慢して、勘弁してくれよ、って虫たちと折り合いをつけて暮らしていたわけですよ。
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・・・疫病がはやれば、昨日まで元気だった人が仏様になる。一晩の火事で町内全部丸焼けになってしまったり。明日何があるかわからない不安感の上に、信心が生まれてくるんですよね。人間だけは特別というように驕っていない。
宮部 頼りない命という意味では、虫や鳥と同じだと。
杉浦 狐狸妖怪も一緒に棲んでいる。
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宮部 ・・・私が江戸ものを書き続けたいと思うのは、そういう温かい人間のつながりがある社会への憧れがありまして。いろんなものを分け合って、助け合って生きていた時代があったんだよ、ということを伝えたくて。