拾われる力

ヨシダナギの拾われる力

 

 いつ誰に出会うかってすごいことだなーと、改めて思うエピソードでした。

 

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 人生のあちこちで人(とネット)に拾われてきたヨシダを、最初に拾ってくれたのは、7歳の頃に通っていた学童保育の先生だった。

 あるとき、ノートに字を書いて練習するように言われたのだが、私はただ文字を書くのはつまらないと思い、思いついた文章を書いて提出した。別に大した文章ではなく、よくある子どもの詩のようなものだったと思う。

 すると先生が「ナギ、これは自分で考えて書いたの?」と聞いてきて、「ナギは面白いことを考えるね」と、褒めてくれたのだ。そして、その日のうちに先生は私の母にこう伝えてくれたのだ。

「ナギは自分の気持ちを言葉で伝えるのは決して得意ではありませんが、この子には紙とペンを与えてあげてください。そうすれば、ナギは自分の感情をお母さんにも伝えることができます。ナギは、きっと紙とペンで何かを表現できると思いますよ」

 それまでの私は、親族からずっと「全然、感情がわからない」「どうして普通の子ができることを、お前はできないの?」と言われ続けていたのだ。それを自分でも受け入れていた。だから本当に物静かで、いてもいなくても変わらないような存在だった。

 だけど、このとき初めて、私のことをわかってくれる人が現れたのだ。しかも私の代わりに、私が思っていることを母親に話してくれたのだ。生まれて初めて味方ができたように感じて、「あ、私、生きていけるかも」と、思ったことを今でも覚えている。

 おかげで、こんな自分でも誰かが見てくれているのだと思えるようになった。自分は決してヒマワリのように誰もが振り向く明るい花ではないけれど、ひっそりと咲く珍しい花なのだ。そういうポジションでなら生きていけると、幼いながら思った。

 ・・・

 そんな私の思いを知ってか知らずか、私の人生を大きく左右する重要な教えを授けてくれたのが、他でもない母だった。

 たしか8歳の頃だったと思うが、私に向かって母がおもむろにこう切り出した。

「ママとパパにとっては、アンタは娘だから可愛いと思うけど、世間的には特別可愛いわけではない。でも、笑顔に愛嬌があるのだから、とにかく愛想良くしてなさい。そうすれば、きっと生きていけるから」

 そう言って、自ら実践して見せてくれた。まずは駅前の駐輪場。管理人のおじさんに向かって母がこれでもかと笑顔を振りまくと、なぜか駐輪代がタダになった。

 次に、近所の魚屋。またしても母の渾身の笑顔で、1匹だったアジが2匹になった。母の力、恐るべし。

 私の母はなぜか、昔から常に物事を冷静な目で見ていた。というよりは、〝親の欲目〟というものがあまりない。

 今思えば、よく実の娘に残酷な現実を突きつけてきたなとは思うのだが、母の言うことはたいがい的を射ていると思っているので、案外、あっさり受け止められる。

 ・・・

 そんな母の教えであり、しかも直接その威力を目の当たりにしたものだから、私の中には「愛想良くしていれば生きていけるんだ!」という思いがしっかりと刷り込まれた。さらに母は、「誰にでも愛想良くする必要はない。ここぞという相手にだけ全力で笑顔を振りまけ」という核心にも触れてくれた。

 おかげで私は、こうして生きてこられた。14歳で学業をあきらめて、グラビアアイドルにもイラストレーターにも行きづまったりもしたが、その都度、必ず誰かに拾ってもらえた。それもこれもすべて、母のこの教えがあったからだ。やっぱり、お母さんってスゲエ。