空について

理想的な死に方―「あの世」の科学が死・生・魂の概念を変えた!

空についても書かれてました。
いろいろな捉え方をされてることが整理されてて、参考になりました。

P186
 ・・・「空」は、仏教でも解釈に苦しんでいるように見受けられます。道元や一休や白隠などの、名だたる高僧が「空」を解釈し、それが現在の仏教界に継承されています。
 要約すると、「空」の解釈は三つあります。そのひとつが「無常感」です。きれいな桜もやがては散る、形あるものは必ず滅する、かたときも同じ状態を保つことはない、というものです。なかには、散った桜もやがてまた咲く、つまり「空即是色」だ、という解釈もあります。
 もうひとつの解釈が、「相互依存」という考え方です。桜の花ひとつとっても、花単独で咲くことはできない。枝があって幹があって、根があって、地面があって、地面の中には養分があり、さらには太陽があり、空気があり、空気中に二酸化炭素を排出する動物たちがいる。宇宙は、おそろしく複雑に絡み合った「相互依存」の上に成り立っている。その「相互依存」が「空」だ、という考え方です。
 最後の解釈が、「何ものにもとらわれない心の動き」です。我々の心は、常に何かにとらわれてしまっています。もしも、この「とらわれ」から離れることができれば、実は心はすごい力を持っています。「何ものにもとらわれないこと」を「空」という、という解釈です。
 私は、これらの解釈が間違っているとは思いません。いずれも深い内容を含んでおり、私がいまから述べる「空」の解釈と、奥底ではつながっています。
 また、経典の解釈は、ひとつに決めつけて断定する必要はなく、さまざまな解釈が可能なところが、経典のすばらしさだと思います。
 ところが、「ホログラフィー宇宙モデル」を勉強してから『般若心経』を読むと、「空」というのは、明らかに「あの世(暗在系)」のことを指しているのがわかります。つまり、従来の仏教界の解釈と、少なくとも表面的には大幅に違うのです。
 ちょっと考えると、あらゆる物質や精神がたたみ込まれている「あの世」が、何も存在しない「空」だというのはおかしいような気がするかもしれません。でも、おかしくないのです。すべてが存在する、ということは何もない、ということと同じです。
 これは、太陽光を考えるとわかります。太陽光は「白色光」と呼ばれています。色がないのです。ところが、ちょっとプリズムに当ててやると七色の虹が見えます。つまり、すべての色が含まれているのです。・・・すべての色を混ぜると色のない白になり、その白からあらゆる色が分離できます。
「あの世」というのは、太陽光のようなものでしょう。だから、「空」なのです。
 前に述べたように、「あの世」には時間がありません。だから、「不生不滅」であり、「不増不減」なのです。
 ですから、「色即是空」ということは、「この世」と「あの世」が一体になって、ひとつの宇宙を形作っている、という意味に解釈できます。つまり、「ホログラフィー宇宙モデル」そのものなのです。