一人飲みで生きていく

一人飲みで生きていく

 稲垣えみ子さんの本、今回も面白かったです。

 

P8

 今にして思えば「男はつらいよ」の車寅次郎に憧れて一人飲み修行を始めるなんて、随分野心的なことを考えたもんです。だって何と言ってもあれは映画です。ありそうでもありえない話だからこそ面白いのです。現実は甘くない。一人飲みができるようになったぐらいで、寅さんみたいな自由すぎる人生が過ごせるなんて、んなことあるわけない。

 ……と、思うでしょ。

 しかし現実とは恐ろしい。奮闘努力の甲斐あってなんとか傷だらけになりながらも修行を終えた私、よほど酔いが回ったのか、50歳で長年勤めた会社をあっさり早期退職しまして、以来、夫なし子なし定職なし、仕事をしたりしなかったりしながら、近所のおっちゃんおばちゃんと「今日は蒸すね~」「今から銭湯?」などと声をかけ合いつつのほほんと暮らすという、まさにフーテンの寅のごとき生活を始めたのです。

 もちろん、周囲にはさんざん驚かれた。・・・

 ・・・でも本人はデンと構えているんだよ。実のところこんな人生もありなんだとほくそ笑んでいる。いやほんと。

 一体なぜなのか。

 結局ね、一人飲みを通じて、生きていくのに本当に必要なものはお金じゃないってことがわかったんだと思う。

 いやもちろん、お金は大事です。お金が全くなけりゃ一人飲みもできんからね!でも、お金はあればあるほど幸せになれるってわけじゃない。いやむしろ、意外なほど少ないお金でも十分幸せにやっていける。

 

P147

 ・・・私が初めて一人飲みに挑戦した店、大阪は天神橋にある小さな気取らぬ名店「酒や肴よしむら」店主の吉村康昌さん・・・

 ・・・

 最近つくづく思うんですけど、今コロナで大変なことになってるからこそ、「一人飲み」がますます大事になってくるんと違いますか。一人飲みできる人って、家と会社以外にも、ちゃんと自分の居場所を持ってる人です。・・・自分が心から信頼できる店、安心してリラックスできる店があるかないかで人生全然変わってくる。そういう場所を見つけるには、ネットで見た話題の店とか、予約の取れない店をいくら追いかけてもダメなんです。一人で飲んで、お金やなしに、情報やなしに、ほんまの自分と向き合う。店と向き合う。上下関係なしに隣の人と向き合う。そういうことをしたことない人が、案外多いんですよね。だから勇気を出して、是非挑戦してほしいと思いますね。

 ・・・

 いや私、改めて思いました。これって本当にすごい場ではないか。

 家でも会社でもなく、血縁関係も利害関係もない。でもそこに行けば、お互いがお互いを緩く受け止め合える場所。いつ行っても誰かがそこにいて、仕事やら家族やらへの愚痴も泣き言も笑って聞き流してくれる場所。人生の豊かさを決定づけるのは金でも名言でも地位でもなく、こんなふんわりとした「第三の場所」を持っているかどうかなんじゃないだろうか。

 

P200

 ・・・一人飲みとは単に一人で飲み食いすることではない。自分の心地よい居場所を自分で作ることだ。そのために必要なのは一にも二にも「周囲への気遣い」である。自分がどうしたいかはひとまず脇に置いておいて、場の雰囲気を良くすることを精一杯やる。結局、みんなが良くなれば自分も良くなるのだ。それは、少なくとも私には革命的な発想の転換であった。何しろ人のことよりまず自分のことという競争社会の常識とは真逆である。でも実際にやってみれば、その効果は「競争社会の常識」なんぞはるかに超える、絶大な効果を発揮した。・・・

 ・・・このたびの非常時にあっても。私は我が一人飲みの経験に助けられた。誰もが未知の事態に怯える中で、自分のことよりも何よりも、何はともあれ近所の馴染みの店や、そこで縁を得た幾多の友達を支えようと思えたことが私自身を支えた。声をかけ、足りない物を融通し、できる範囲で店に顔を出した。すると同じだけの、いやそれ以上の気遣いや物が帰ってきた。つまりはこのたびのことで私を取り巻く周囲の絆は間違いなく深まったのである。これはもう全く、一人飲み修行のおかげであった。

 ・・・

 私は本書において結局のところ何を書きたかったのかというと、それは、人の「自由」とは一体どこに存在するのかということだったのだと思う。

 自由になるとは一体どういうことか。

 圧倒的多数の人は、自由とはお金であり権力であると思っている。・・・

 でも実は、自由になるってそういうことじゃないんだとしたら。・・・

 それを知ることはもう間違いなく、人生における革命を引き起こす行為である。

 ・・・そう一人飲みとは、人生の罠から抜け出し、真に自由な人生を歩き出すための第一歩なのである。