いまを生きる

もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

「いま」にいる感覚について、わかりやすかったお話です。

P124
 ・・・こんな経験があるだろう?
 おまえが娘を叱りつけたときのこと。ああだこうだと説教した直後、さっきまでシュンとした顔を見せていたはずの彼女が、次の瞬間にはケロリとして、嬉々とした表情を浮かべて遊んでいる。
 それを見たおまえはムッとして再度声を荒げたね。「コラー!ちゃんと俺の話を聞いていたのか!まるで反省の色が見えないじゃないか!」と。
「しょっちゅうですね、それ(笑)」
「反省の色を見せろ」というおまえの要請は、裏返せば「過去を引きずる態度をとりなさい」ということでもある。彼女はそこで同じ過ちを犯したわけではないだろ?ただ、瞬時に気持ちを切り替え「いま」を生き出しただけだ。
「あ……(汗)」

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 現実創造の起点は「時間(思考)」の中ではなく、「いま(現実)」の中だ。そこでなら奇跡を受け入れやすくなる。だからこそ、「いまとともにある」という状態へ帰りなさい。
「いまとともにある……。それは、どうやって?」
 だから!何度も話しているじゃないか。意識を「思考の次元(幻想世界)」から「体感の次元(現実世界)」に合わせるんだよ。
 ・・・単純にフィーリングの世界に移行すればいい。五感を研ぎ澄ませて「感じる」ことに帰るんだ。
 そうだ。おまえにもこういう経験があるだろう?悩み事や心配事、そんな考え事をしているときは、料理の味わいがちゃんと感じられなくなるようなことが。
 場合によっちゃ完食後、その味どころか、「あれ?いま何を食べたんだっけ?」って、献立すら思い出せないなんてことが起こる。意識が「思考」へ偏るとフィーリングが薄れてしまうんだ。
 逆に、ものすごくおいしいものを食べているとき。その料理を「味わう」ことに専念したら、自然と考え事ができなくなっていくだろ?
 わざわざ「思考にとらわれないように」なんて努力しなくたって、「感じる」ことでおのずと「いま」に帰ることはできるんだ。
 おまえはもともと「いま」に存在している。そこから離れたことはない。そこ以外に存在したことなどないんだ。ただ、その自覚を失っていただけ。