生きてればOK

わたしをひらくしごと

〝生きる〟を実感できるツアーをガイドしているという、海洋冒険家・八幡さんのお話も興味深かったです。

石垣島/西表島/小浜島シーカヤック(カヌー)シュノーケリングツアー

 

P226

―東京・福生で生まれ育った八幡さんが漁師に興味をもって、海をベースに暮らすようになったのはなぜですか?

 親父の海好きに影響されたんでしょうね、簡単にいえば。

―お父さんはどこの人なんですか?

 北海道育ちです。・・・

 北海道の海に遊びにいけば、親父が海に潜ってウニやムール貝をとってきたりしてました。・・・で、それを浜辺で火を焚いて食ったのがものすごくおいしかったっていうのが、最初の食の記憶です。その感動が大きかったから、おそらく学生時代に〝海〟というキーワードに引っかかってしまったんでしょうね。・・・

 ・・・たまたま見かけた新聞記事に出ていた漁師に魅了されてしまい、一方的にその人に会いにいっちゃった。

八丈島に。

 そう。結局、会ってもらえなかったんですけどね。でも地元の漁師さんと知り合って、わけを話したら、もっとすごいやつを紹介してやるよって。その人は素潜りの達人でした。一緒に潜らせてもらって、人間ってこんなことできるんだ!って感動したんです。深い海に潜って、魚を突いて、その場で締めて、食べる。それらの行為すべてがすごいと思って。

 それまでは、体を動かすといえばスポーツだったから。・・・でも魚をとるのは、つまり手足を動かすのは、生きるためなんだ!って。街に暮らしてたら普段、〝生きるため〟なんてこと意識しないけど、初めてそれにふれた瞬間だった。・・・生きるってことの実感というのかな。自分もここから始めたい、と思ったんです。

―その思いが今日まで続いてるんですね。ところで、就職したことがないそうですね。

 はい。学生時代、まわりが就職活動してるときには、俺は就職しないって宣言してましたから。で、大学を卒業した翌日に、出ました。

―どこへ?

 海へ(笑)!

―でも、じゃあどうやって生計を立てていたんですか?

 そんなこと、考えてなかったですもん。

―実際、どうやって生きていたわけ?

 魚をとって。魚さえとれれば死なないっていうマインドに、すでになっていたから。

―おお!どこで魚をとっていたんですか?

 いろんなところで。1ヶ月バイトして旅費を貯めては3ヶ月旅をする、というのを繰り返してました。沖縄、長崎、北海道、インドネシア、トルコ……とにかく行ってみたいところを訪れては、現地の漁師に会いにいくという生活。

 そうやって興味のある場所をひととおりまわったころには、どこにいてもやれるっていう自信がついていたんです。・・・

 じつは学生のとき、就職しなきゃ不安だっていう気持ちも少しはあったんですよ。でも、そういう考え方をするのは意識的にやめようと思って。どっちが得かみたいなことだと、有利なほうの選択しかしなくなるから。だから、俺がやりたいことを選ぶんだと決めてしまおうと思ったんですね。それで、このころにはもう、自分で生きられる、になってた。

―その確信が自分の芯にあるっていうのはすごく強い。このご時世はとくに、みんながそれぞれにそう思えたらいいのにって思います。

 食べ物を自分で手に入れられるっていうのはめちゃくちゃデカいですよ。いま上の子どもが小学3年生で、勉強はあんまりしませんけど、魚だけはとれる。魚のとり方、水源の探し方、野草の食べ方も教えてあります。だから、父親としての俺の役割はもう終わったようなもんだと思ってます。仕事なんかなくても、水と食い物さえ確保できればどこででも生きていけるから。生きてればOKって、よく言ってるんですけどね。

 ・・・

―・・・「ちゅらねしあ」を立ち上げた・・・最初はどうやってお客さんを呼んだんですか?

 オープンした年・・・に単独で西表から那覇まで漕いだんです。当時の僕はカヤック業界で無名中の無名でしたけど、なんか無茶なことをしたやつがいるぞって噂が広がったのかな。カヤックをやっている人が少しずつ来てくれるようになりました。

 キャンプツアーでは、僕がとってきた魚を直の焚き火にくべて食わせる・・・その人の価値観をちょっと揺さぶるような体験をサポートできるのが、自分の役割としても嬉しいですね。・・・