その通り、大事だなと思います。
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・・・ぼくの性格は見事に一貫していたらしいということが後の通知簿が証明してくれていた。一年から六年までの六冊の通知簿にはそれぞれ担任の先生が生徒の学習について評価した寸評が書かれていた。
ぼくはそれを見て驚くと同時に笑ってしまった。六年間の担任はみんな違う先生なのにぼくに対する評価は申し合わせたように全く同じ内容だった。まるで前年度の記述をそのまま反復したように同じ言葉が綴られていた。
一、落ちつきがない。
二、キョロキョロする。
三、他人にちょっかいを出す。
四、幼児語が抜けない。
以上の四項目が六年間変わらず判を押したように書かれていた。
そして、あれから六十数年が経った今、この小学生時代の性格と現在を比較してみるとそんなに変わっていないことに気づく。
「落ち着きがない」というのは昔も今もそのままだ。だけどこの言い回しは否定的だけれど、もう少し肯定的に言えば「行動的」という言い方にならないだろうか。確かにひとつのことに集中できず、あれもこれもに関心が向く。
「キョロキョロする」は観察力の別の言い方ではないのか。視覚の固定ではなく視覚の移動ということで部分ではなく全体を眺める能力なのではと思う。
「他人にちょっかい」は他人に対する関心と好奇心からくる差異感の確認では?
「幼児語」は確かに長い間抜けなかった。一人っ子ということもあって親はぼくがなん歳になっても子供扱いをした。それがたたって今でも口下手である。・・・だけど芸術にとって最も重要な資質のひとつにインファンテリズム(幼児性)というのがあって、常に子供の視線で事物を観察することの重要性が挙げられる。
以上の四項目は確かにぼくの性格の欠点を見事に言い当てている。六人六称ではなく六人一称であるということろがエライと逆に先生を誉めたくなる。
だけど、もしこのような性格を持って生まれてきていなかったらぼくはアーティストになっていなかったかも知れない。この四つの性格を変えないでズーッと確保してきたためにぼくはアーティストになれたのかも知れない。・・・
学校の先生から見れば四項目ともに注意事項であって、性格的には欠点であろう。・・・だけど性格はそう簡単に直らない。だったらその性格を認識して、それを伸ばすことでその人間の個性が発揮できるのではないだろうか。・・・このことを実現して成功している人は実は多いはずだ。もしかしたら大半がそうではないだろうか。世間でいう天才は、短所を長所に転換できた人のことをいうのでは?そのためには努力が必要になってくる。
・・・
・・・欠点が多ければ多いほど天才になれる可能性があるということではないだろうか。教育や社会が欠点人間を否定するために彼等は伸び悩んでいるのであって、それらに別の角度から光を当ててやれば、ほっといても努力するに違いない。その前に自分の欠点を探るのもいいかも知れない。