益田ミリさんのエッセイ、この味わい、好きです。
P68
パソコンに向かっていたら、強烈な睡魔がやってきた。こういうときは、もう一旦、眠ることにしている。読みかけの本を手に布団に入ると、たぶん五分もたたないうちに眠っていた。
目が覚めた。
時計を見ると夜の八時過ぎ。ちょうど二時間の昼寝というか夕寝である。
布団に寝転んだまま、「今日」の使い方を考えてみた。わたしの今日が終わるまで、あと四時間あった。
再びパソコンにむかってから夕飯か、あるいは布団に入ったまま本のつづきを読んでから夕飯か。
冷蔵庫にあるものでも足りるが、家の外へ出たい気持ちもある。自転車でスーパーに行き、帰りにドトールでお茶するのもいい。
思い立ち、枕元のスマホで映画の検索をしてみた。
観たかった映画の最終上映が九時半からだった。まだ、じゅうぶん、間に合う。
よし、映画にしよう。
ゆっくり起きて、てきぱき用意。コートのポケットに財布とスマホを入れ、ウールのマフラーをくるくるっと巻いた。バッグは持たず、手ぶら。腕を大きく振って駅までの道を歩き出した。
冬の気配がする。
子供の頃に読んだ絵本に、『12つきのおくりもの』というスロバキア民話があった。森に迷い込んだ少女が、一二人の月の精と出会うという物語だった。春の精は美しい若者たち。寒くなるほど年齢が上がり、冬の月はおじいさんたち。
はて、今のわたしは何月の精?
何月でもいいかと思いながら、気ままに歩く。
途中、新しい家に電気がついていた。洗濯物が干してある。どんな家が建つのだろうと通るたびに見ていたのだが、いつの間にか引っ越しも終わっていたようだ。これから植える小さな木が、庭の隅に寄せてあった。
いろんなことがある。いいことも、悪いことも。特になにもなかった日は、いい日に入れている。
電車に乗り最寄りの映画館まで。チケットを買ったあと長い列に並んで生ビールとポップコーンも買った。
映画を観終える。わたしの今日は、帰りの電車の中で終了した。
P187
ナポリタンが食べたい。
なぜか無性に食べたい。
めちゃくちゃ食べたい。
そう思いながら歩いていたら、洋食屋さんらしき外観の店が前方に見えてきた。前のめりになって進めば、ショーケースに、堂々、ナポリタンのサンプル。
時刻は、平日の午後四時すぎ。客はまばらだった。窓辺のカウンター席に座る。
水を持ってきてくれた店員さんが、
「お決まりになりましたら……」
と聞いてくれている最中に、
「あ、ナポリタンお願いします」
かぶせるように注文した。
自分のてのひらをながめながら、ただナポリタンを待った。わたしは心身ともに疲れていた。一〇段階でいうところの九くらい疲れていた。
世の中には、人前で疲れた顔ができる人とできない人がいる。わたしはできない。疲れた顔ができる人を前にオロオロし、ますます疲れる派だ。この派閥こそ、ここ日本において、かなり大きなものなのではあるまいか。
疲れた顔ができない理由とはナニか。疲れた顔をすると相手に気をつかわせてしまうから、であろう。面倒くさいやつだと思われたくない気持ちもある。逆に言えば、疲れた顔ができる人は、気をつかわれるのに気負いがないということ。「むしろ気つかえや。てか、面倒くさいヤツ上等!」くらいの太々しさがあるともいえる。オロオロ派のわたしたちが疲れた顔もできずに疲れ果て、フテブテ派は疲れた顔をした上で図太くやっている。うらやましい限りである。
ナポリタンを待っているわたしの姿は、相当、暗かったと思う。
スマホの世である。
店に入って席に着き、ただ自分のてのひらを見ているだけの人は、まずいない。思うに、スマホやパソコンがない時代、人って案外、自分の手をよく見ていたのではないだろうか。
しばらくして、湯気をあげたナポリタンがやってきた。フォークでクルクルやってパクリと頬張る。
甘酸っぱいトマト味が、じわーっと口の中に広がった。
「おいしいね~」
と、自分自身に言う(頭の中で)。途中、粉チーズとタバスコをたっぷりかけ、わさわさ食べた。
最後に紙ナプキンで口のまわりをふくと、気持ちがいいほどのオレンジ色。
これを額縁に入れて飾るとするなら、タイトルは、
「疲れ、ちょっと取れた」
以外ない気がした。
一緒に口紅もすっかり取れたが、塗りなおさずに店を出た。