多様性、臨機応変・・・こうだ、と固めずに、柔らかい方がいいです。
P95
『阿弥陀経』の中に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という言葉があります。「極楽浄土の池には蓮が色とりどりに美しく咲き誇っていて、青蓮には青い花が咲き、赤蓮には赤い花が咲き、それぞれの光を放っている。青色でも黄色でも赤色でも白色でも、どんな色でもそのままで素晴らしい。すべての人は、どんな場所でも、その人が持っている力や個性を発揮して光輝くことが尊いのだ」という意味のお経。・・・二千年も前から仏教が多様性を応援しているんだと・・・
P132
私はみんなが信じていることだけが正しいわけではない、と声を大にして言いたい。
たとえば、仏教の悟りがそう。一般的に、仏教の修行は悟りを得るためと言われているけれど、悟りなんて存在しないという学説もあるんですよ。・・・
父に聞くと、今、いろいろ伝えられている悟りについての説明はあるけれども、「お釈迦様が悟りの内容を誰かに伝えた」という初期仏典のパーリ語の原文は存在しないのだそうです。著名な仏教学者である中村元さんがゴータマ・ブッダ(お釈迦様)について書いた書籍にも、パーリ聖典の「お釈迦様が悟りをひらいた」とされる記述は後で書き足されたものだとありました。
お釈迦様が本当に大切にしていたことは、正しく生きなさいということ。そして、相手によって臨機応変に異なる説き方をしたからこそ、それを語り継いだ人たちによって、悟りについてのさまざまな解釈が残されているのです。
P138
私はメイクやファッションの力をすごく信じてる。・・・だって外見は、いちばん外側の自分そのものだから。
質素だと思われがちな仏教者も、実は、外見をとても大事にしています。
大乗仏教の『華厳経』というお経の中に、次のような一説があります。
「ボロでは人は話を聞かないだろう。優れた高徳は、優れた容姿があってこそだ。もし、あなたも菩薩になろうとするのであれば、さまざまな飾りで装飾するべきだ。そうでなければ、あなたは私のような菩薩になることはできない」
あなたの身を飾り立てよと説いているのです。
「菩薩には多くの取り巻きの者がいて、体は端正、荘厳で、教え通り、美しい装飾品をまとい、聡明で優れた知恵がある」
「菩薩は美しく装飾した姿をとるとされ、浄妙の衣服および多種な花の香りを身にまとい、頭に花飾りをつけて人々を救う」
今度、観音菩薩を目にする機会があったら、じっくりと見てみてください。観音様はきらびやかな姿であることが多く、冠やピアスなどのアクセサリーもつけています。
P186
昔、ネイティブアメリカンの文化では、男性の体で女性の魂を持って生まれた人や女性の体で男性の魂を持って生まれた人は、「Two Spirit」と呼ばれ、みんなに幸せをもたらす存在として祝福されたそうなんです。男性の体で女性の魂を持つ人は看護や先生などの役割を担ったり、女性の体で男性の魂を持つ人は戦いのリーダーとして先頭に立ったりと、大切にされていたと聞きました。
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男性と女性、どちらの気持ちにも寄り添える。そして、どちらでもない視点を持っている。私に授けられたこの性を、私は以前聞いて大好きになった捉え方、「Gender Gifted」と呼びたいと思っています。Giftedという言葉は、才能がある、恵まれているという意味。
みんなと違うからこそできること、みんなと違うからこそわかることがあるって思ったら、自分がもっと好きになれた。
P191
私はなぜ生まれ、何をすべきなのだろうと考えずにはいられません。でも唯一、自分を納得させられる私の生きる意味は「他の人を応援する」こと。希望を持っている人の心に触れることが、私のいちばんの喜びです。
もう一つ、夜眠る前に考えるのは、「どうしたら幸せに生きられるか」ということ。以前、親にカミングアウトする前に「こんな1日を過ごせたのなら、何も後悔はない」と思える日がありました。それは、自分のセクシュアリティを隠さず、心からわかり合える友だちと海岸を散歩して、ピンク色の夕陽に包まれて、話に花が咲き、たくさん笑えた日。人生でこんな日があるなら、名誉や財産、実力や美しさもいらない。楽しく笑える瞬間が多いほうが何より幸せで、長生きしなくていい、とさえ思いました。「自分らしくいられて、誰かと理解し合えること」。これが幸せに生きるヒントだと思います。