穏やかな最期のために

老衰死 大切な身内の穏やかな最期のために

 「うらやましい孤独死」を読んで、もう少しこの分野について知りたくなってこちらも読んでみました。

 

P190

 ・・・「人は死ぬとき苦しくはないのか?」・・・

 ・・・芦花ホームの石飛先生をはじめ、多くの患者の最期を看取ってきた医師は、口をそろえて「自然の経過に任せれば、苦痛のない穏やかな最期を迎えられる」と指摘していた・・・

 ・・・

 リサーチを進めると、・・・

 ・・・多くの専門家が論文などで言及していたのは、「低栄養・脱水状態に陥ると、鎮痛作用が働く」というものだった。こうした状況下では、βエンドルフィンなど痛みを緩和する物質が大量に作られる。さらに、体内で作られる「ケトン体」によって感覚の喪失が起こり、痛みを感じにくくするのだという。

 つまり、死が近づき、食事や水分をとらなくなっていったとき、その流れに逆らうことをしなければ、人間の体は鎮痛作用が自然に働くようにできている、というのだ。・・・

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 ・・・イギリス、エディンバラ大学のアラスダー・マクルーリッチ教授。・・・高齢者の意識状態について研究を行っている専門家だ。

 ・・・

 ・・・マクルーリッチ教授は、私たちの質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれた。

「自然なかたちで最期を迎えるとき、人は苦痛を感じますか?」

「すべての人にあてはまるかどうかはわかりませんが、ほとんどの場合、痛みはともなわないと考えています」

「そう考えるのはなぜですか?」

「痛みを感じる原因です。痛みというのは、体が傷を負ったとき、治す必要があることを脳に伝えます。しかし、死の間際にいる患者の場合、そうした反応が起きません。この段階では、脳自体が正常な機能を果たすことができなくなっているからです。従って、臨終過程そのものは、痛みをともなわないのです」

 ・・・それでも、本当に痛みを感じていないということをどうやって証明できるのか、という質問に対しては、こんな答えが返ってきた。

「自分で意思表示をすることがなくなり、終日静かに眠り続けている患者がいました。とても穏やかに見えましたが、それは本人が苦痛を表現できないだけかもしれない、そう思ってあることを試しました。その患者は、足を骨折していたのですが、患部に優しく触れてみたのです。すると穏やかだった表情は一変し、苦痛で顔をゆがめてしまったのです。それでわかりました、穏やかに見えるならば、それは穏やかなのだと」

 あくまで一例で、科学的根拠にはなりませんが、と言って控えめな発言ではあったものの、なるほどと思わせるエピソードであった。・・・そして付け加えてもうひとつ興味深い話を聞かせてくれた。

「自然に亡くなるときだけでなく、軽度の肺炎などで亡くなるときでも、苦痛はないと考えられています。イギリスでは、肺炎を説明する言葉のひとつとして〝老人の友達〟という表現があります。肺炎で亡くなる高齢者は、眠るように穏やかな最期を迎えるからです。くり返しになりますが、こうした段階にある患者の脳は、老化にともなう慢性炎症(=インフラメイジング)などによって機能低下しているため、痛みを感じることはなくなっているのです」

 ・・・私たちは最後に、どうしても聞いてみたかった質問を投げかけた。

「多くの専門家に話を聞き続けていると、人にはもともと穏やかに亡くなる機能が備わっているのではないかとさえ、思うようになりました。人には生きる力だけでなく、〝死ぬ力〟のようなものがあるのでしょうか?」

「とても興味深い考え方ですね。私たち同僚のあいだでも、臨死期に意識混濁状態に陥るのは、痛みを感じないようにするための〝保護機能〟かどうか、議論したことがあります。確かに、患者本人が生きることをあきらめたかどうかにかかわらず、脳が〝もう回復できない〟と判断すると、意識レベルが下がり、深い眠りに陥ります。そうして痛みや死への恐怖から身を守っているようにも見えますが、まだ答えは出ていません」

 ・・・

 ・・・別れ際になると、真剣な表情で、「われわれも〝治し生かす〟だけでなく〝よき死を支える〟ために何ができるか、今後はさらに考えていく必要がある。今日はそのことを気づかせてくれるよい機会だった」と話してくれた。