死んだら守り神に

与論島の山さん 薬草に捧げた人生と幸せな終末へのメッセージ

 与論島で薬草の研究をされている、山さんのお話。

 読んでよかった、と思う本でした。

 

P115

「自分の家で最期を迎えたい」

 突然ですが、わたしはそう思っています。皆さんはいかがでしょうか?

 じつはわたしだけでなく、与論の人は、とくに年配の島民ほどそう思っているの。

 人が死ぬと肉体に宿る「マブイ」が抜けて、死んだ場所に定着すると与論では伝わっています。マブイというのは、魂のようなものです。だからもし、入院先や老人ホームのような施設に暮らしていたとして、そこで亡くなると、魂はそこにあることになるんです。

 よって自宅で最期を迎えることが叶わなかった場合には、「マブイ寄せ」という儀式を行って、魂を自宅に呼び戻さなければならないんです。昔の厳格な価値観では、魂が自宅に戻らなければ一家のお墓に入れない、弔ってもらえない。ようは無縁仏のような悲しい扱いになってしまって、家の守り神にもなれないんです。

 そして、このマブイ寄せはなかなか大変な儀式で、家族に迷惑をかけることにもなるから、できる限り自宅で最期を迎えたいんですね。島に設備の整った総合病院はありますが、そこに霊安室がないのは、そこでお世話になる前に自宅に帰ろうとするからなんです。

 そんな切実な理由、ようは自宅で最期を迎えなければ自分にとっても、家族にとっても大変なことになることから、自宅で終末期を過ごして亡くなる場合が多いので、与論では死がとっても身近なんですね。

 いよいよそのときが訪れると、家族全員でお見送りをすることになっていて、たとえどんな時刻でも、どんな小さい子でも起こされて死の瞬間に立ち会うようにするの。

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 あとは、たびたびお伝えしているように、亡くなって終わりではなくて、魂はしばらく家に宿って、いずれ守り神となり、自分がご先祖さまに守られてきたように「わたしも守るから」って、島民はそう思っている。だから、最期のときでも強くいられるんだと思います。

「与論の人は生き方だけではなくって、死に際にも全部、先祖や家族への感謝に満ちている」

 わたしはそう思いますね。