野の医者は笑う

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

面白い語り口、軽いノリながら、幅広い調査研究と深い洞察もちゃんとついている、興味深い本でした。

ちなみに「野の医者」というのは、ここ↓から著者が名づけたものです。

 

 沖浦和光という歴史学者は、「ヤブ医者」がもともと「野巫医者」だったと書いている。

「ヤブ医者」というのは、腕の悪い医者の意味ではない。朝廷に仕える正規の医師と違って、「野」にいて、それでいて、「巫」、つまり巫女(みこ:ふじょ)のようなシャーマニックな治療を行う人たちのことを言ったのだ。祈祷師や陰陽師のような人たちだ。・・・

 

 一部切り取ると、著者の真意が伝わらないかも?という懸念もありますが…著者は「野の医者」がいいとか悪いとかではなく、「心の治療とは?」という問いの答を見つけようと真摯に探求している印象でした。

 

P132

 ちゃあみいさんは、昼は野の医者として活動し、夜は飲み屋で働いている。お金がないからだ。兼業野の医者とでも言ったらいいだろうか。それに加えて、ちゃあみいさんには母親であり、妻であるという一面もある。家庭を切り盛りしながら、セラピーに精を出し、飲み屋でパートをする。

 私の調べた限り、大半の野の医者がこの形態で活動している。多くの野の医者が、それ一本では生活していくことができない。だから、時給700円弱でパートをしながら、野の医者であり続ける。それほどまでして、野の医者でいる必要が彼らにはある。

 肝心の野の医者としての活動は幅広い。彼らはセラピーやヒーリングだけをやって生きている訳ではない。

 怪しいセミナーに参加したり、あるいは怪しいセミナーを主催したりする。そして、彼女は日常の様々なことを「ミラクル」だと意味づけ、それをブログにアップする。加えて、Facebookで頻繁なやり取りをする(Twitterはあまり使われない)。パワーストーンなどのヒーリンググッズを仕入れてきて、それを販売する。

 さらに週末にはヒーリングイベントを主催したり、あるいは人が主催したイベントに参加したりする。

 野の医者は完全な個人事業主なのだ。守ってくれる組織などない。自分でお客さんを集めないといけない。だから、ありとあらゆる機会に、自分を宣伝し、病む人をかき集めるのだ。

 彼女は複数のイベントに一枚噛んでいた。タウン誌でイベントの告知があれば、出店者として申し込むのはもちろん、自分でもいくつかのイベントを主催していた。

 もちろん、ヒーリングイベントにはほとんど儲けがない。格安でセラピーや施術を提供しているからだ。それでも、野の医者は積極的にイベントを開催する。

 私は、それが野の医者のデフレ化だと思い、経済的には自分で自分の首を絞めているようにも思った。もちろん本人たちは、それが広告だからと割り切っている。あとで、本当のセラピーに導入することで元は取れるのだと。だけど、私はそれだけではないように思った。

 野の医者たちは誰かを癒す機会を欲している。そのことで自分自身が癒されるからだ。

 ・・・イベントは彼女たちにとって癒やしなのだ。お客さんの悩みを聞き、心身を癒やしてあげること、そして空いた時間にヒーリングについての情報交換をすること、それらすべてが彼女たちを癒やしている。

 このことを突き詰めて言うならば、彼女たちにとっては野の医者でいること自体が癒やしだということになる。

 ・・・

 私はこの頃になってようやく、野の医者とは傷ついた治療者であると同時に、癒やす病者なのだということがわかってきた。これは大きな発見だった。つまり、彼らはまだ癒やされている途上にある病者なのだ。と言うか、癒やす人と癒やされる人は深く繋がっている。

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 つまり、病者は治療者という生き方をすることで癒やしを得る。だけど、それで病者じゃなくなるわけではない。病者であるがゆえに人を癒やせるわけだし、人を癒やすことが自分を癒やすことなのだ。それは病むことと癒やすことが「生き方」になるということだ。

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 ・・・こういうことに気付き始めたとき、私にとっては健康とは何だろうということが大きな謎となった。