大丈夫、なんとかなる

国境のない生き方: 私をつくった本と旅 (小学館新書)

その時できることをやればなんとかなる、ほんとにそうだなと思いますし、後から振り返って、それが10年後とか20年後かもしれませんが、失敗にしか思えなかったことが、大切な経験だったなとわかりますよね(^_^;)

P172
 いつも土壇場のギリギリのタイミングで天使が滑り込んでくる。
 自分でも、面白い人生だなと思います。
 本当に周期的にそういうことが起こる。マルコじいさんとの偶然の出会いがなかったら、一七歳でイタリアに渡ることもなかったし、二七歳でデルスを産まなかったら漫画家デビューして日本に戻ってくることもなかった。三五歳でベッピーノと結婚して、シリアのダマスカスに引っ越すことがなければ、『テルマエ・ロマエ』も生まれなかった。
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 だから、私にとって「失敗」は、ダメージ・ポイントじゃないんですね。失敗が増えれば増えるほど自分の辞書のボキャブラリーが増えるわけですから、「やっちまった」「しまった」と思って、またやり直しっていうのは、死ぬまでやっていいと思うんです。
 その時は「ああっ、こんなつもりじゃなかったのにどうしよう」ということでも、時がたてば「失敗」というカテゴリーには入らない。「経験」なんですよ、それって全部。
 ガンガン傷ついて、落ち込んで、転んでは立ち上がってというのを繰り返してるうちに、かさぶたはどんどん厚くなっていきます。かさぶたがいっぱいできれば、皮膚も分厚く、たくましくなるんだから、かさぶた上等。どんどこ、つくっちゃえばいい。
 そうやって失敗を繰り返しているうちに、やがて分厚くなったかさぶたがはがれる時が来る。「ああ、自分はカッコつけてたな」、とか「人からどう見られるか、体裁ばっかり気にしてたな」とか、薄皮が一枚一枚はがれるみたいに余分なものがとれていった時に「ああ、失敗は、どれもこれもいい経験だったな」と思える時がきっとくる。
 そのためには、経験と時間が要る。
「その時、その時、できることをやればいいんだから。大丈夫、絶対になんとかなる」
というのは、うちの母の口癖なのですが、ああ、本当にそうだなあって。
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 うちの母って母親である前に、ひとりのはしゃぐ人間なんですよ。
 生きることに精一杯でいつも「なんだかわかんないけどすごいわよ〜」とか言ってる。
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 去年の冬、登別温泉に行ったんですが、車を走らせてたら、ちょうど夕暮れ時で海岸線が見えてきて、そうしたら「いやあ、素晴らしいね」って後ろの席に座ってた母が言うわけですよ。
「これを原動力に明日から働くぞ!」って。
 ちょっと待って、ちょっと待って。八一歳ですよね?働く?
「素晴らしいじゃない、もう、働くしかないよ、もう」って、何?
 あの時はもう、後ろからぶっとばされたというか、かなわないなあと思いました。