間違いに気づくこと

コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)

 朝日新聞デジタル連載がまとめられた本です。

 このブレイディみかこさんの文章(2020年3月12日配信)が心に残りました。

 真の危機はウィルスではなく「無知」と「恐れ」、というテーマで語られています。

 

P127 

 英国の公立中学校に通っている息子がこんなことを言っていた。

「今日、教室を移動していたら、階段ですれ違いざまに同級生の男子から『学校にコロナを広めるな』って言われた」

 これはまたストレート過ぎる言葉だなと驚いた。息子もさすがに引いたらしい。

「あまりにひどいから、絶句してしばらくその場に立っていた。なんだか、もはやアジア人そのものがコロナウィルスになったみたいだね」

 ・・・

 日本でもトイレットペーパーの買いだめが起こったそうだが、パニック買いは英国でも始まっている。薬局やスーパーの棚から消えて久しいのは手と指用の殺菌ジェルだ。普通のせっけんで頻繁に洗えばそれでいいのだと聞いても人々はやっぱり殺菌ジェルを買いに走る。カンヅメやオムツ、頭痛薬などが品薄になっている店も出てきている。「人が買いだめしているから私もしておかないとという気になって」という友人・知人の声を耳にする。いつもはわが道を行っているように見える英国人でもそんなことを言うのだ。

 人は、未知なものには弱い。新型コロナウィルス感染が収束する時期もわからなければ、感染している人も見分けられない。だから不安になる。「未知」と「無知」がイコールで結ばれるとき、それに「恐れ」の火を焚きつけられたら、抽出されるものはまったく同じものだろうか。

 しかし、常にそうである必要はない。「学校にコロナを広めるな」と息子に言った同級生の少年は、その後、息子に謝りに来たそうだ。階段で起きたことを見ていた誰かが彼に注意したそうで、「さっきはひどいことを言ってごめん」と申し訳なさそうに謝ったというのだ。

「僕は黙って立っていただけだったけど、誰かが彼にきちんと話をしてくれたから、彼は自分が言ったことのひどさがわかったんだよね。謝られた時、あの場で何も言わなかった僕にも偏見があったと気づいた」と息子が言った。

「偏見?」

「その子、自閉症なんだ。だから、彼に話してもわかってもらえないだろうと心のどこかで決め付けて、僕は黙っていたんじゃないかと思う」

 きっとこういう日常の光景がいま世界中で展開されている。部数を伸ばしたいメディアや勢力を拡大したい政治勢力が大文字の「恐れ」を煽る一方で、人々は日常の中でむき出しの差別や偏見にぶつかり、自分の中にもそれがあることに気づき、これまで見えなかったものが見えるようになる。

 知らないことに直面した時、人は間違う。だが、間違いに気づく時には、「無知」が少し減っている。新型コロナウィルスは閉ざされた社会の正当性を証明するものではない。開かれた社会で他者と共存するために我々を成長させる機会なのだ。

 

 今年もブログを見てくださってありがとうございました(*^-^*)

 この年末年始は、特に休まず更新しようかなと思います。

 どうぞよいお年をお迎えください☆