自分を生きるということは・・・

「違うこと」をしないこと (角川文庫)

 いろいろ、ヒントになるなと思いながら読みました。

 

P56

吉本 誰にでも潮目が変わる時があって、それに気づくのって、だいたい悪いことが起きている時ですよね。自分が安定していると思っている状態だと、なかなか目を開きにくいから。ショックなこととかつらいことっていうのは、すごく大きいチャンスでもある。・・・自分がそれまでと変わった状況になった時に「あれ?今まで何やってたんだろう」って気づくのって、とても大事だと思う。まず気づこうって意志を持ったところから、何かが始まるような気がします。起こる出来事も変わってきますしね。

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 ・・・「待てよ。こんなちょっとしたことを変えただけでこういうことが起きてくるってことは、もしかして」というふうに思う時が、変われる時、自分に戻る時ですよね、きっと。

 

P151

「動物を飼いたい」が優先順位の一位だったら、東京で暮らす必要はないし、「満員電車に乗りたくない」が優先順位の一位だったら、就職する必要はない。別に立派な理由じゃなくたっていいし、そのくらいまっさらなところから考えたっていい。

 人は、好きに生きていいんです。

 そこからすべてがはじまる。それをどうか忘れないで。

「どうしても毎日カレーが食べたい」のに、ネイルサロンで働いているので「ランチにカレーは困る」となるとする。自分からスパイシーな匂いがして、お客さんに迷惑がかかるから。それなら、そのために仕事を変えちゃうのだってアリだと思う。「そんなの馬鹿げてる」と人に笑われても、別に構わないじゃないですか。自分の人生なんだから、好きにやったらいい。意外とそこから自分でも思ってもみなかった新しい人生が拓けていくかもしれない。なんで「どうしてもカレー」だったのか、その時は自分でもさっぱりわからなかったけど、あとで「あ、そういうことか」ってわかるとかね。

 人間って、習慣を変えることが一番困難で、自分を変えたい、人生を変えたいと思いながらできないのは、それが習慣になっちゃってるからだと思うんですよ。

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 やりたいことをやってるはずなのに、いつもせわしなくて、幸せだって感じる暇がないとしたら、それだって習慣ですよ。ぼんやりしてるなんて時間がもったいないって言うけど、本当にそうか。いつも時間に追われて、あくせくしていることで、実は、何もしない時間の中にある豊かさを受け取り損ねているのかもしれない。

 

P162

 どの宗教も言ってることは同じで、人間って、やっぱり、みんな、幸せになりたいものだし、肉体にまつわる欲望をそんなに助長させない方が基本的に生きていきやすいですよね。食欲とか性欲とか何でもいいけど、「欲をあんまり育てちゃいけない」って、どの宗教も言うけど、ほんとだなって感じがします。たいていの痛ましい事件は欲から起きているし、金銭欲、支配欲、名誉欲、ほかの人を無力化させたいというあらゆる欲が、結局は肉体にまつわるもので、愛よりも欲の方を助長させちゃうと、生きにくくなる。

 やっぱり、その瞬間、その瞬間に宇宙から要求されている「最適」があるんですよ。

 その「最適」から、どれくらいズレないかっていうのが、人間のできることなんだと思う。

 それって、情緒とか一切入り込む隙がないくらい、とってもデジタルなことのような感じがする。

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 クリント・イーストウッドは、長年にわたってTM瞑想を実践してきた人で、彼が監督した映画の多彩さに触れると、TM瞑想が創作にものすごく影響を与えてきたことがわかります。

 ・・・臨死体験を描いた『ヒア アフター』までいっちゃうと、これはもう瞑想して宇宙から拾ってきたなとしか思えない。・・・あれって超能力があって苦しいって話ですから。・・・

 瞑想って、自分の内側にどんどん入っていって、宇宙みたいなものに繋がる経験で、大きな泉に水をくみに行くみたいに、極まると誰にでもなれるし、何でも考えられる。彼の作品の多彩さを思うとちょっと恐怖も感じるけど、人間の可能性を感じる。

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 自分を生きるっていうのは、これをすれば幸せになれるとか、これをやめないと不幸になるとか、そういうことでもなく、自分を生きたからって、悲しみはなくなるわけではないし、つらさが減るわけでのない。

 人生は、誰にとっても、基本的につらいものだから。

 それでも自分を生きていけば、生きることはきっと豊かになる。そこから開けていくひとつひとつの景色は、ひとつ残らず、あなたにしか見えない、あなただけのかけがえのないものだから。