平常心

人生の終わり方も自分流

 「退屈で忙しくて、何ということもない平常心を失わないこと」というくだりが、印象に残りました。

 

P57

 まだ若い時、私はただ或る現実として「うちは夫婦共、ゴルフというものをしないんです」と言った。・・・

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 ・・・私の言葉を聞いた相手はにこやかな顔で「ご冗談を」と言った。

 こういう言い方ほど私を困らせるものはなかった。察するに、相手はゴルフをするのが上等な暮らし方で、「しない人間が、インテリと言われている人種の中にいるわけがない」と思い込んでいるようだった。

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 夫も「ゴルフをすれば歩くから健康にいいですよ」と人に言われながら、終生ゴルフをしなかった。ゴルフ場なんて決まり切ったところを歩いていては人の生活も見えない。町なら一本通りを歩くだけで別の光景が見える。思いがけない発見もある。それに、町を歩くことにはお金もかからない、というのがその理由だった。・・・

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 息子はけっこうスポーツマンだったのだが、まだ高校生の頃、私の知人の一人が東京でも名門のテニスクラブの会員の席が一人分空いたから申し込んでみたら、と言ってくれた。そこの会員になることは、或る種の人たちの憧れの的だった。そうすれば財界や政界の有名な家族と親しくなれるかもしれないし、そこの会員だというだけでエリートだと思ってもらえる空気もあるらしかった。

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 私はテニスクラブの会員権の話を一応息子に伝えた。すると息子は果たして「僕はそういうところには入らないよ」と言った。

「それにテニスなんて、空き地に紐張れば、どこでだってできるんだよ」

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 私はぜいたくもするし、節約して暮らす面もある。海の傍に別荘用の土地を買ったのは四十年前であった。長い年月をかけて手を入れ、植えておいた椰子は高さも十メートルを超えたし、南方の木も植え、花も作るようになった。同時に畑も整備してタマネギやえんどう豆やイモを植え、採れた野菜を自分で料理して食べている。それが私にとっては最高のぜいたくなのである。

 人は人、自分は自分としてしか生きられない。・・・人間は一人一人違っていて当然なのだ。・・・

 

P249

 私が地震の日以来たった一つ心がけていることは、普通の暮らしの空気、つまり退屈で忙しくて、何ということもない平常心を失わないことだ。・・・

 私は決して人が並んで買うようなものは買わなかった。人がつめかける店にも行かない。暴走を止めるという力に少しでも加わることが市民のささやかな義務だと思っているからだ。

 しかし市民は必ずしも落ち着いていなかった。私の住む私鉄の駅前には、大きなモダンなスーパーがあって、地震のすぐ後には、入場制限の人が出るくらいだった。私は歯科医に行ったついでに、町を歩いてみた。これは小説家の務めのようなものだ。そして、あまり人の行かない古くさい小さな店には、新しい大根もお豆腐も、インスタントラーメンも牛乳も、一本九十八円という特別安売りのお醤油まで売っていることに感心した。

 人の行く方向に行ったら人生では何も見つからないのだ。人の行かない方向へ行けば、静かな小道でいつもの生活が続いている。梅も花盛り、じんちょうげの匂いが高い。平常心が香っていることを思わせる。