曽野綾子さんのエッセイ、続けて読みました。
P134
ストレスを受けて病気になる人が、今の時代にもなくならない、という。
もちろん一概に、ストレスの原因を決めるわけにはいかないけれど、私は昔から、マラソンと同じでトップに立つ人はさぞかし風当たりが強く、その辛さが胃にきたり血圧の変調になったりするのではないか、と思っていた。
私が昔からいつの間にかやり続けて、割と楽なストレス処理法だと思うのは、最初からいい評判を取らないことである(ほんとうは「取らない」のではない、「取れない」のだが、この際そういう正確さはどちらでもいいことにしよう。厳密でありすぎることもまた、ストレスの原因だから)。
人はどういう生き方をするかなかなかむずかしい。私の実感では、人から一度褒められるようになったら後が大変だ、という気がする。よく気がつく人だ、などと一度でも思われようものなら、ずっとそういう献身的な態度を要求される。あの人は人付き合いのいい方で、などと言われたが最後、あらゆるところからお誘いがかかり、お返しでまた呼ばねばならず、本を読む暇もなく、ずっとパーティーを開き続けていかなければならないのだ。
ことに地方の、伝統的な空気の強い閉鎖社会では、評判が人生を決めてしまうことさえある。
だから最初からわざと、あの人は役立たずだ、気がきかない、態度が悪い、神経が荒い、親切でない、ということにしておくと、当人はそれほど頑張らなくても済むのである。ここがおもしろいところだ。
ことにいいことは、そういういささか悪評がある人がちょっとでもいいことをすると、それは意外な効果を生むということである。
もともと気がきくと思われている人なら、して当たり前のようなことを、気のきかないとされている人がすれば、「あの人も意外と考えているのね」と褒められ、普段から親切だと思われている人なら当然とされているようなことでも、不親切だという評判を取っている男がちょっと気配りを見せると「あの男も、時には味なことをやるもんだね」と大受けである。
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要は自分流に不器用に生きることである。自分流でなく、他人流に生きようとする人が多すぎるからストレスが起きる。