ムスコ物語

ムスコ物語 (幻冬舎単行本)

 ヤマザキマリさんのエッセイ、とても興味深く読みました。

 

P57

 懐妊告知のあったその夜、私がキューバへボランティアへ行くきっかけとなった知人の彼女であるキューバ人のクリスティーナと会い、この事態を告げた。するとクリスティーナは「うわあ!」と声を上げて両手で力強く私を抱きしめ「キューバの赤ちゃんじゃないの!」と叫んだ。いや、詩人はキューバ人ではないからキューバの子供ってわけじゃないよ、と焦って指摘をしたが「相手がどこの人であろうと、キューバで身ごもったのだからキューバの子供よ!」と意を曲げず嬉しそうだ。悩みを相談しようと思っていたのだが、クリスティーナの一途な歓喜を目の当たりにしたせいで、私の気持ちはさらに複雑なものになった。

「でもクリスティーナ、あなたも知っているように私たちには子供を幸せにできるバックグラウンドも経済力もない。こんな有様の中に生まれてくるなんて子供が気の毒でしかないよ、私なら生まれてきたくないよ」

 クリスティーナはしどろもどろな私の目を覗き込むように、じっと見つめながら言った。

「だったら尚更迎え入れないと。そんなあなたを、それでも母にしようと決めた赤ちゃんなんだから」。瞬きもせずに私の目を射るように見つめるクリスティーナの目は、怖いほど真剣だった。「だいたい私たちのキューバを思い浮かべてごらんなさいよ。今じゃ世界から見放され、経済制裁で食べるものもない。世の中の不条理や厳しさを絵に描いたような状態なのを知ってるでしょう。確かにあなたの個人的苦労もわかる。でもキューバでも種類は違うけど重たい現実とみんな向き合っている。そんな中でも日々愛は生まれ、子供が生まれる。子供たちが過酷な現実の中でも、しっかり育っているのをあなたも見たはずよ。親は子供を甘やかすことができないけど、そのおかげで、きっとどんなことにも負けない力強い人間として育つものなのよ」。そして「ちょっと、しっかりしてよね!」と言いながら私の丸く屈んだ背中を一発叩いた。「だいたい幸せなんてもんは、それぞれの気持ち次第なんだから。あなたの価値観で子供の幸せを決めちゃだめよ!」

 結局私は自分の気持ちの都合でこの子の命についてあれこれ勝手に判断するのはやめることにした。クリスティーナの言葉に励まされたというのもあるけど、つわりがひどくなりつつある中で、胎児による生命への自己主張を感じはじめていたからだ。散々風邪薬も飲んでしまったし、私は勉強と仕事に忙しい。おまけにお金もなければ彼氏とは喧嘩ばかり。それでも子供が「やっぱり今回は間違えました」と自ら去っていかない限り、どうしても最後まで私のお腹にいるつもりなら産もう。様々な社会の苦難が押し寄せてきても、余計なことを考えずに毅然と育てていこう。野生の動物と同じように、自立するまでは親として守れるだけのことはしてあげよう。

 ・・・

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「でもさ、子供を育てるために漫画家になるって、選択としてかなり間違ってない?」

と大人になったデルスは笑う。私が出産の経緯を話すと、そんな応えが返ってきた。

 ・・・

 息子の年齢は私の漫画人生と比例する。授乳しながら、それまで描いたこともない漫画に必死で挑戦したあの頃から、気がついたらもう4半世紀以上が過ぎているわけだが、子供を産まなかったら漫画などという仕事をしてみようという発想は一生なかっただろう。きっかけとは不思議なものである。たった数日過ごしたキューバの〝太ったマリア〟というあの海辺には、もしかしたら何か特別なエネルギーがあったのかもしれない。私が死んだらキューバの海に遺灰を撒いてよ、あそこが還元されるべき場所と言う気がする。そう頼むと、「遺灰なんてそうどこでもかしこでも撒けないよ」と嫌そうな表情で答えつつも「それにしても〝太ったマリア〟って、名前がもう、ママが妊娠するためにあるような場所だよな」と笑った。

 そういえば、子供の出産を伝えたキューバのホームステイ先の家族も同じことを言っていた。・・・

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 ・・・家に見知らぬ中年の紳士が訪ねてきたことがあった。仕事で滞在していたハバナで知り合った人に自分の家がフィレンツェだと伝えたら、これをあなたに持って行ってほしいと託されました、と新聞の包みを差し出した。開けてみると中には私が若い頃に流行った古いモンチッチのコピーと思しきソフトビニールの人形と「こんなものしか手に入らなかったのだけど、赤ちゃんにあげてください」と美しい筆記体スペイン語で書かれた手紙が入っていた。子供とふたりきりになり、少しずつ日本へ帰る準備をしている最中の出来事だった。ベランダから去って行く紳士の後ろ姿を見送りながら、涙を抑えきれなかったのを今も思い出す。