この世を見立てる

ココアどこ わたしはゴマだれ

 興味深いやりとりでした。

 

P276

高山 スイセイと一緒に暮らしてきた間に、この世で生きていくための方法のようなのを、長いことかかって教わったような気がする。どういうふうにすればいいのか。世の中に向かってね。自分の立ちかたっていうのかな。

 

スイ うん、構えかたかの?

 

高山 そう。世の中に対しての構えかたを、どうすればいいかというのを教わった。私は自分という者が、ずーっと分からなかったの。社会にとっての自分というものがね。どういうやりかたをしてお金を稼いで、どうやって生きていけばいいのか、ずっと分からなかった。不器用だし、何のとりえもないから。それが、「みいは料理なんじゃない?」「文が書けるんじゃない?」って言われて、まずはそれを教わった。「ちょっと、やってみたらええじゃん」って。

 ・・・

 おかげでその、自分の素質みたいなことに……素質っていい言葉だなって最近思うんだ。もともと持っている質っていうのかな、そういうものにも気づかせてくれたっていうか。長いことかかって。

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 で、素質だけじゃこの世を生きていくには足りないので、その素質を使った、この世の歩き方っていうのを、教えてもらったっていう気がする。だからあとはもう、箱の中を、箱の中のことはひとりで、自分でやっていくしかないので。

 

スイ 墓?箱?

 

高山 箱。容れ物のこと。箱の捉えかたをね、教わった。「ここはどこ?」って不安になったときに、「ここは、こういうところですよ」って、自分に向かって言えるような箱。「私はだれ?」の方は、もう私がこれから一生をかけて、自分でみつけていくことなので。まだまだいろんなふうに変ってくだろうし、プラスされるだろうし、子供のころに戻ったりするのかもしれないけど。そういうことが、ちょっと分かってきたような気がする。

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 で、スイセイがさっき、「見立て」って言ったじゃない。この世を見立てるって言うような。そのへんのことを、ちょっと喋ってみてください。

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スイ ・・・子供が砂場で山を作ったりして遊ぶのも、ままごと遊びなんかも、まったく見立てのことで、「なんとかごっこ」いうのはすべて見立てだよね。「見立てごっこ」ゆうのはまた、「物語ごっこ」でもあるしね。自分はその見かたをさらに拡大して、世界ゆうのは、自分にとってどういうものであるかっていう、そういうことを考える。それもやっぱり見立てじゃない。おれは別に、真実がどうのこうのを言っとるというよりも、なんというか、おれは自分の物語を言っているにすぎない。おれは、自分や自分を取り囲む宇宙に対して、そういう見立てをしとるっていう、そういうことよの。

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高山 ・・・まだ上手に言えないんだけど、そこがスイセイとの違いなんだと思うんだ。・・・信じられるものが、自分の周りとか外側にあるんだよね。自然とか、風とか、人とか。・・・言葉では収まらないようなもの。・・・

 

スイ ・・・この世には肉眼で認識できない世界があるんじゃないかっていうようなことを言いたいんじゃの。

 ・・・今みいが言ったような、「自分には知らないところがあって、そこに興味がある」とか、「惹かれる」ゆうところが、おれとは大きく違う。

 

高山 そうでしょう。

 

スイ おれは、知らない部分も自分なんだと思っとる。自分の内側っていうか。外側にあるわけじゃなくて。

 

高山 でも、外側のものに感応するというか、関わりを持っているっていう感じはない?

 

スイ それは、自分の中に心当たりがあるから、感応するわけで。

 

高山 わあ、そうなのか。

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スイ それが、自分と違う種類のものというよりも、そういうものが自分の内側にあるものとして、そういう意味では興味がある。