インドで「暮らす、働く、結婚する」

インドで「暮らす、働く、結婚する」

 あれ?どこかで見た絵?と思って手に取ったら、好きで読んでるマンガ「インド夫婦茶碗」の流水りんこさんがイラストを描いていました。

 ところ変わればこんなに違う、ということのオンパレードで、頭のコリがほぐれる感じの面白さでした。

 

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 家族や親戚、友人一同に散々たわけ者扱いされながら、

「よっしゃ、インドで一旗あげるぜい!ま、駄目なら帰って来りゃいいや」

 という何の具体性も不退転の決意もない3度目のインド。バラナシの大学に留学した。

 日本では、将来とは常に心配すべきもの。心配をしないのはバカだ、ぐらいに考えられがちだ。僕もそうだったが、インドに来てしばらくすると気が付いた。

「あ、未来って、わざわざ不安に思わなくていいんだ。楽しみにしてていいんだ」

 どうひいき目に見ても、インド人たちは、僕を含む多くの日本人と比べて不利な状況、恵まれていない状況にありながら、未来をわざわざ不安に思うなんて無駄なことはしていなかった。目からうろこが落ちた。やっぱり、インドが好きだ。インド人が大好きだ。

 僕の置かれた状況は何も変わらないし好転もしていないにも関わらず、僕の人生はこの日から突然楽しくなった。何が起こってもどうにかなるさと思うようになり、楽観的な考え方に、時にインド人にさえ呆れられたりしながらも、今まで楽しくやってこれている。

 渡印2年目には成り行きで大学の日本語講師をやることになり、そのまま教師生活10年。先生を業としながらインドに会社を設立し、商社の手伝いやテレビ番組のロケコーディネートなどのお仕事をさせていただいた。その一方で、カフェレストラン『イーバ・カフェ』を開店することができた。「よくもまあ、こんな面子が揃っちゃったもんだ」という人生崖っぷちのスタッフたちと一緒にあたふたしているうちに、お店もどうにか軌道に乗ってきた。

 35歳の誕生日には、大学の教え子だったラチタと結婚。ついこの間、長女の咲弥も生まれた。バラナシの自宅にいると、娘と遊ぶのに忙しくて原稿がちいとも進まない。・・・

 真夏の日差しも届かぬ迷路のようなバラナシの小道をさまようように、オールを持つ手も見えない冬の霧の中でガンガーのボートを漕ぐかのように、自分がいったいどっちに進んでいるのか、はてまた同じところをくるくる回っているだけなのか?それさえわからないままインドに住み続けて12年。右も左もインド人、挙句の果てに嫁さんも愛娘もインド人。ここまでインド中毒に蝕まれた僕は、無事日本人に戻れるのだろうか?

 

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 インド人は一般的に地図が読めない。地図というのは、実際の地形、道順を抽象化し、脳内で実際にはありえない視点から見つめるという高度な作業があって初めて読むことができる。これには、それなりのトレーニングが必要だ。・・・ただ、地図が読めないからといって必ずしも地理に疎いとも限らない。どうも日本人とは違う記憶方式を持っているらしい。・・・

 ・・・

 ・・・日本のちっぽけな常識でインド人をとらえて判断したり指導したりしようとすると失敗する。インド人社会の中に頭の先までどっぷり漬かって10年ぐらい生活してみると、それを痛感する。

 ・・・

 あと、面白いのが「いい天気」。学生が書いた「今日はいい天気です。雨が降っています」という表現。日本人だと「いい天気」といえば、お日さまがさんさんと照る晴れた空。ところがバラナシでは「アッチャー・モウサム」。つまり、いい天気と言えば、灼熱の大地を冷ます雨降りのことなのだ。う~ん、ところ変われば、ですね。