八千草薫さんの心境が語られている本、山の家の暮らしや自然を写した写真と共に、
読むととても落ち着いた気持ちになりました。
あとがきには、2019年新緑の季節に、とあるので、それから数カ月後にあちらへ旅立たれたのですね。
P9
切り替えは決して早くないのですよ。どちらかと言えば、くよくよと遅いほうだと思うのですけれど、決めるタイミングが来るんです。
そして決めたら、もうそのことは考えません。
こんなふうに考えるようになったのは、亡くなった主人によく言われた言葉のおかげなのかと思います。
「いい加減に生きなさい」
「いい加減」と聞くと、あまりいいイメージではないかもしれないけれど、これは「おざなりに」という意味ではなくて。
「良い加減」という意味の「いい加減」ね。
ほど良く生きる、ちょうど良く生きる、ということ。
「中国には〝いい加減〟という意味の〝馬馬虎虎まあまあふうふう〟という言葉があるけれど、そういう気持ちでいたらどうだろう」
その主人の言葉を聞いてから、私は少し変わった気がするのです。
「あぁそうだなぁ……考えすぎるのはもうやめよう」
「力を抜いてやっていこう」
そう思えるようになったんですね。
だから、というわけでもありませんが、70歳を過ぎてから自分の年齢を考えなくなりました。
・・・
私も、70歳を過ぎてからは、5年……いや、5年もちませんね。もっと早く1年ごとに変わっていくなぁと感じるようになりました。
ただ、それは悩んだりしても仕方ないことですから。くよくよしたところで私が50歳に戻れるわけではありません。
「まぁ、いいか」
そうやって変わっていく自分も、受け入れてやっていくよりほかありません。本当は、一生懸命考えることが面倒くさくなって「まぁ、どうでもいいや」なんて思ってしまっているだけ、かもしれませんけれど。
P76
・・・私がここまでどうにか女優を続けてこられた原動力のひとつは、人への興味、好奇心があったからです。
俳優や女優は人に興味がなかったら、できない仕事だと思うのです。
「私だったら、とてもこんなふうにはできないなぁ」
台本に書かれた登場人物のセリフを読むと、そんな発見があったり、
「そういう生き方もあるのか……!」
そんなふうに感心したり。
人の面白さは、そうやって年齢を重ねていくことで、自分という人間も変わっていくことです。許せなかったことが、許せるようになったり。
私もだんだん、頑なではなくなってきました。
「そういうのもやれるんじゃないか」
「やってみてもいいんじゃないか」
自分の考え方の「ものさし」の長さや種類が変わる、という感じかなぁ。だから、「私らしい」役にこだわらないように、これからも。
P124
「どうしようもないことは、考えなくていい」
起きてもいない先のことや、もう取り返しのつかない昔のことも同じようにどうしようもないこと。病気をしてから、さらにそう思うことが多くなりました。
そう考えると、やっぱり、第一に考えないといけないことは「今」だと思います。
ぶきっちょなのか、元々の性格なのかはわかりませんが、私は何より「今」がちゃんとしていないと、何か居心地が悪いというか、気持ち悪くて嫌なのです。
まずは「いま、目の前にあること」を大事にすること。ごまかしてそのまま先に進んでも、やっぱりどこかで上手くいかなくなるんですね。
自分が、ちゃんと納得できているかどうか。
納得してから、先に進んでいるかどうか。
もちろんそうやって進んだとしても、大抵のことは、
「失敗したな……」
「もっとこうすればよかったな……」
と、思うようにできているのね、悔しいけれど。
「もう少し、誰かのために生きられなかったかな」
「人のために何かできることはなかったかな」
ここまで来ておいて、私も、そう後悔することもあります。
・・・
それとはまったく逆に、
「あぁ、もっと女優だけに突き進めたら良かったなぁ」
ということも時々、思うのです。
「なんだか、いい加減にここまで来ちゃったなぁ」
なんて。もちろん仕事には本当に一生懸命なんだけれど、どこか突き詰めていくと「一生懸命じゃない」ところがあるような気がするのです。
上手い表現が見つからないのですけれど、
「何かひとつだけに、のめり込んでしまうことが少ない」
というのかな。・・・欲張りなのでしょうね、きっと。
・・・
でも、後悔があったとしても、反省があったとしても、自分が納得するまで、「今」から逃げないことが大事だと、私は思うのです。
・・・
そうやって色々考えても、結局、思い通りにいかないものですけれど、それが生きるということなんじゃないかな。
だからこそ、今―その日その日、一日一日、瞬間瞬間を大事に過ごしたいな、と思うんです。