よしもとばななさんのエッセイを読みました。
こころが鎮まるというか深く落ち着くというか、読んでよかったです。
P21
前に住んでいた場所でとてもよくしてもらったそのおばあちゃんは両親より歳上。どんな姿になっていても、おかしくはない。
・・・
でも、玄関の戸を自分であけて、おばあちゃんは出てきた。
「あら、元気そうで、あんたは変わらず若いねえ!お父さんとお母さんはどう?」
あまりよくないです、と私が言うと、
「あらそう、でもいいんだよねえ、生きててくれるだけでいいものなんだよねえ。」
おばあちゃんは私の手をぎゅっと握って、にこにこしてはっきりした声でそう言った。
自分が泣きそうなのにびっくりした。
ほんとうは人間ってこういうものなんだ。
この人が奇跡なんじゃない。
・・・
おばあちゃんの子どもたちや孫は、なぜかほとんど日本にいない。となりの家に住む娘さんも若いときは海外に住んでいたし、私が住んでいたとき幼かったお孫さんもふたりとも海外に住んでいる。
おばあちゃんは、きっと反対しなかった。淋しい、なんでそんな遠くに住む、と嘆くこともなかったのだと思う。
おばあちゃんの小さい家は昔ながらの和室があるなんていうことのない質素な家。おばあちゃんの子どもたちは世界中に豪華な家を持っていて、いつでも来ればいいと言うけれど、おばあちゃんはここがいちばんだと言う。
おばあちゃんはその家の上の階を若い人たちに貸している。
お孫さんの昔のボーイフレンドに貸していたこともある。その人はアメリカから来た黒人だった。とても働き者の礼儀正しい人だったけれど、あの世代の人が、孫の昔のボーイフレンドしかも外国人を住まわせてあげるなんていうことが、そうそうあるのだろうか。
「病気のことばっかり考えていると、もっと重くなる。別のことを考えているうちに治っちゃうものなんだよ。私も去年肋骨を折って、お医者さんは二ヶ月かかるって言ったんだけど、二週間でくっついちゃったの。早くカラオケに行きたいって思ってたからね。」
「すごいですよ、おばあちゃん。私、もし九十代で肋骨を折ったら、きっとくよくよしちゃうもん。」
私は言った。そのとき、となりから娘さんが輝くような笑顔でやってきた。この人も全く歳をとってない。きっとおばあちゃんがいて、安心して思い切り生きられるから。
一人の無名の人がこうして生き抜いているだけで、たくさんの奇跡を起こしている。