完璧を目指さない

間違う力 (角川新書)

こういうフットワークの軽さ、ありなんだ~と新鮮でした。

 

P189

 ・・・私はいろいろなアジア系の人に会った。そこでわかったのは、・・・拙速思考で、日本人のように「何かを極める」という発想がないことだ。最初から一流を志向しない二流志向である。

 彼らは、何か新しいビジネスや事業を思いついたとき、何も深いことは考えず、とにかくはじめてしまう。たとえば、貿易。日本人なら「貿易っていろんな法律とか為替の知識とかが必要なんでしょ?」と尻込みすると思うのだが、彼らに言わせると「そんなの、あとで誰かに訊けばいい」。

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 店の経営も同じように気軽である。ある台湾小皿料理店の経営者にインタビューして驚いたことがある。まだ二十代の女性だったが、「オープンの当日は、ご飯がうまく炊けなくてびっくりした」という。そのくらいよくあるじゃないかと思うなかれ。彼女はこう言うのだ。

「だって、お店の炊飯器って、家庭用よりずっと大きくて使い方もちがうでしょ?初めてだったから全然やり方がわからなかった」

 要するに、新しい業務用炊飯器を一度も試し炊きしないで、開店当日にぶっつけで使ったというのだ。いくら気軽といっても日本人なら考えられない。

 普通、こんないい加減な経営の店が長続きするとは思えないのだが、この店は激戦区新宿においてその後、人気店となった。それまではほかの台湾料理店で出さなかった台湾ちまきがヒットしたらしい。

 とにかく、経営者の頭には店を早くはじめることしかなく、開店当日にご飯を炊くのを失敗するなど、失敗のうちに入らないのである。・・・

 最初から完璧をまったくめざしていないから、多少失敗しても焦らずにすむのだ。

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「国際」とか「世界」と名がつくと、とたんに緊張してしまい、「ちゃんとせねば」と無理な一流志向に走るのが、私たち日本人の悪癖である。

 アジアの人にはそれが希薄なわけだが、ヨーロッパの人もあまりないらしい。

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 ギリシア第二の都市テサロニキでブラインドサッカーの第一回世界クラブ選手権というものがひらかれた。

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 しかし、現地に行ってみると、この大会はほんとうにいい加減なものだった。

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 ブラインドサッカーは中に鈴の入ったボールを使う。鈴の音を頼りに選手が走る。だから、プレー中に、観客が声援を飛ばしたり拍手を送るのは厳禁である。鈴の音が聞こえなくなるからだ。以前、軽井沢で行われたワールドカップ前の日本代表の合宿は、「セミの音がうるさすぎる」という前代未聞の理由で中止になったという。音は命なのである。なのに、この会場の真横で、クレーン車が出て建設工事をガンガンやっている。

 ブラインドサッカーがどういうものかまったく理解していない(全チームが抗議して翌日から工事は中断になった)。

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「日本じゃ、こんないい加減なこと、あり得ないよな」と日本人選手の一人が言ったが、別の一人はこう答えた。

「そうだよな。でも。ここでは大会をやってるからな。やらない日本よりかはるかにいいよ」

 そうなのである。日本では障害者の大会などというと、「絶対バリアフリーにしなきゃ」とか「もし怪我とかしたら大変。万全を期さないと」とか緊張してしまい、予算は跳ね上がるわ、スタッフも足りないわ、と今でも大騒ぎになる。・・・

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 いい加減な大会にはメリットもある。

 しょっちゅう顔を突き合わせて文句を言ったり善後策を考えたりするのでかえって主催者のスタッフと親しくなるし、ほかの国のチームとも「ほんと、これ、困っちゃうよね」とか「おたくではどうしてるの?」などと話も弾む。わざわざ「親善パーティー」などやらなくても、みんなで問題解決に取り組むうちに自然と顔を覚えてしまう。上っ面でない実践的な国際交流である。