数学の贈り物

数学の贈り物

 たしか古武術甲野善紀さんのお話の中に森田真生さんが出て来て、読んでみたいなと手に取りました。

 

P96

 私たちが直面する重大な問題は、その問題が生み出されたときと同じ水準の思考によっては解決できない―これは、アインシュタインが残したとされる言葉だ。・・・

 いま世界のスマホユーザーは二十億人を超えるそうだ。・・・

 ・・・

 コンピュータが専門家の占有物ではなく、子どもを含めて、誰もが使える未来がくるのだと、いち早く見通していたのは計算機科学者で教育者でジャズ演奏家でもあるアラン・ケイだ。・・・彼は、スマホがこれほどまで普及した現状を評して「コンピュータは洗練されたテレビになった」と嘆いていた。

 コンピュータは、新しい時代の鉛筆や紙や本のようにならなければならないというのがアラン・ケイの主張だ。・・・この特異なメディアを使いこなすための能力を、読み書きの能力を身につけるのと同じくらい真剣に身につけていこうではないかと、彼は何十年も前から提案している。・・・コンピュータリテラシー(これは単に「プログラミングができる」という表層的な意味ではないことはアラン・ケイがくり返し強調している)を常識とすることで、これまでとは違う人間に生まれ変わることができるのだと。

 『パイドロス』のなかでプラトンの描くソクラテスが、文字や書物を批判している場面がある。ソクラテスはエジプトの神タモスの言葉を借りて次のように語る。すなわち、文字を学ぶと、忘れっぽくなる。文字が与える知恵は真実の知恵ではなく、見せかけの知恵である。書物ばかり読んでいると、知者となる代わりに、知者であるといううぬぼればかりが育つ、と。書かれた言葉は真実の言葉、すなわり「生命をもち、魂をもった言葉」の影にすぎないというのだ。

 当時、文字や書物は最先端の技術だった。新興のテクノロジーに警戒せよと、ソクラテスは忠告しているのだ。そんな彼の言葉を、プラトンが文字で記述しているのは滑稽に見える。まるでスマホ批判をスマホで投稿している人みたいだ。

 しかし、プラトンはこのあとちゃっかりソクラテスに語らせている。書物が見せかけの知恵しかもたらさないならば、それでもなぜ、あえて文字を書こうとする賢人がいるのかと。これについてソクラテスは「慰みのためだ」と答える。文字を書くことは、酒盛りやそれに類した遊びの代わりの「慰み」だと言うのだ。

 いまや読み書きは、慰みどころか、なくては生きていけない能力になった。文字は、話すことができるのと同じ内容をただ記録するためのメディアではないのだ。文字は、文字によってしか不可能な思考の世界を立ち上げる。文字によって、人はそれまでと違った人間になる。現代の社会は、読み書きの能力によって生まれ変わった人間を前提として設計されている。社会そのものが、文字によって変わってしまったのである。

 ・・・

 コンピュータリテラシーを身につけることは、読み書き能力を身につけるのと同じように人間を根本的に変容させる可能性がある。コンピュータを単に道具として使うのではなく、コンピュータによって、人間が生まれ変わる未来をこそアラン・ケイは夢見ているのだ。・・・

 先人の涙ぐましい努力が生み出した技術をただ便利に消費しているばかりでは、一向に「それが生み出されたとき」の水準以上の思考ができるようにはならないだろう。便利な技術や快適なサービスを消費するばかりではなく、それが生み出されたときよりも高い水準で思考する人間を私たちは真剣に育てていかないといけないし、自らもそういう人間に変わっていかないといけない。

 ・・・片手に収まるこの美しく洗練されたコンピュータを生み出したのと同じくらいの情熱と意志と知恵を、僕らがこの技術に見合う存在に生まれ変わるために注ぐことができれば、世界はきっといまよりずっと、生きがいのある場所に変わっていくだろう。