林真理子さんのエッセイは、文章が流れるように読みやすいことに毎回驚きます。
プロだなぁと。
こちらは、余計な物を買ってしまうのが楽しいのだ、余計なことはしなくてはいけないというお話・・・確かにそうですね~と印象に残りました。
P315
この頃、通販はとても好きになり、ワンクリックで購入が多い。しかしお店に入ってみると、
「こんなものが流行っているのか」
と目を見張るものがいっぱいだ。スカーフやニットなどちょっとしたものをつい買ってしまう。
最近どうしてみんな本屋さんに行かないんだろうという話になった。
「欲しいものはアマゾンで買うもの」
と若い人は言う。大人もそのとおりと言う。しかし本屋に行く楽しみというのは、棚いっぱいに並ぶ本を見て、自分が欲しかったものとは別のものをつい買ってしまう。つまり、
「余計なものを買ってしまう」
ことだと思うのである。
つい先日、経済誌の記者の方からインタビューを受けた。
「最近どんな仕事を」
と聞かれたので、
「新聞の連載小説を毎日書いてますけど」
憮然として答える私。自分で言うのもナンであるが、その小説は最近とても人気で、週刊誌でも特集が組まれるほどだ。この記者さん、まるで勉強してこないなあとがっかりし、ふと思いあたることがあった。
「もしかして、新聞読んでいらっしゃらないんですか」
「ええ。たいていのことはネットでわかりますから。LINEニュースを読めば済みますから」
平然と答える人に、
「経済誌の人が、新聞読まないってどういうことなんですかね」
と、つい嫌味を口にしてしまった。
そもそも新聞は面白い。紙面をめくっていると、ふだん私が興味を持っていない分野の記事でいっぱいだ。国際面で最新のシリア情勢が、経済面ではインバウンドの行方という記事が載っている。どちらも私の苦手の分野である。最初見るつもりはなかった。が、おめあての記事にたどりつくためにめくっていると、
「余計な記事を読んでしまう」
のである。
これは人間関係にも言えることではないだろうかとこの頃考えるようになってきた。目的の人だけに突っ走らない。余計なこともしてみる。余計な人にめぐり逢ってみる。これはとても大切なことではないだろうか。
今から十数年前、私の第一目標は仕事であった。とにかくいい小説を書かなくては、もっと取材に行かなくてはと、そのことばかり考えてきた。だから子どもが学校にあがり、ママ友とつき合うのは、私にとって全くの寄り道、余計なことだと感じたのである。
そこにはたくさんのお母さんたちがいた。私が日頃知っている、マスコミ関係者とはまるで違う人々である。そして今、私はそのうちの何人かと深い友情を結び、それは今も続いているのだ。
余計なことはしなくてはいけない。無駄なことをしないと、人の心は瘦せ細っていくばかり。・・・