いっそ清々しいような

ヨシダナギの拾われる力

 やっぱり人は、自分の体質に合った生き方が一番いいんだろうな…と思いつつ読みました。

 

P137

「ナギさんのように一歩踏み出すには、どうすればいいですか?」「ナギさんみたいな勇気をどうやったら持てますか?」という質問をよくされる。が、ここまで読んでくださった方ならもうおわかりのことと思うが、ヨシダは「一歩踏み出す勇気」なんていう高度なものを持ち合わせていない。

 興味を持ったら、やるだけやってみる。やってもいないことに対して「できなかったらどうしよう」とは思わない。やりたいことは、とりあえず、やってみればいい。あとのことは、やってから考えればいい。

「仕事にならなかったらどうしよう」と思ったり、何らかの形にならないとダメだと考えたりすると、そのためには勉強が必要だとか、もっと準備しないといけないということになってしまう。そんなことばっかり考えていたら、いつまでたっても何もできないままになる。だったら、私は考える前に、とにかくやってみる。

 もしダメだったとしても、やってみたことでスッキリするから、それでいい。人生は一度きりなのだから、いろいろなことにチャレンジして、常に楽しいほうに進んでいきたい。もしうまくいかなくても、それは私には「ご縁がなかっただけの話」だとあきらめられる。

 そうやって自然とあきらめることが、小さい頃から身についている。決して投げやりなわけではなく、「どうせ失敗するなら、やるだけやってみよう」と行動しているだけだ。そういう意味では、私は決してポジティブではないのだが、とても楽観的だとは思う。そうやってすぐに行動するところが、傍から見れば「一歩を踏み出す勇気」に見えているのだろう。ただ単に、じっとしていられないだけなのだが。

 それでも、「人はどうせ死ぬんだから、やりたいことをやっておこう」「人生を楽しもう」という気持ちはある。ぐずぐず悩んでいても、結局、何も始まらない。

 そもそも、やってダメだったことの何が悪いのだろうか。どうして、そんなに失敗することが怖いのだろうか?自分には向かないとわかって、次に進めるチャンスなのに。

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 反対に、「やりたいことがない」と悩んでいる人もいるが、それは別に悩むことではないと思う。「やりたいのにできない」と苦しむより、やりたいことがないほうが気楽でいいじゃないか。私もずっとやりたいことがなかったクチだが、それを親に言ったら「金がかからなくていい」と喜ばれたほどだ。

 もっと言うと、「夢なんか抱かなくてもいい」と思っている。

『自分はどうしても○○になりたいから、こうじゃなきゃいけないんだ』というビジョンを描き過ぎている真面目な人ほど、そこにたどり着けないことが気持ち悪くて、不幸になってしまう。もちろん、高い目標を立てて、モチベーションを維持しながら突っ走れる人ならいいが、そうでない場合は、「これだ」と決めつけて動く必要はないと思う。

 それよりも「コレだけは、やりたくない」ということだけを定めておけば、あとは自然にやれることに行き着くだけである。そうやって写真に行き着いたのが、今の私。だから本当に、夢がなくてよかったと思っている。