百寿者の幸福感

為末大の未来対談―僕たちの可能性ととりあえずの限界の話をしよう

 100歳以上の高齢者を意味する「百寿者」の研究をされている方とのお話も印象に残りました。

 

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為末 ・・・疑問として「何歳ぐらいで寿命を迎えるのが最も幸せな一生なのか」という問いが浮かんできます。

 

新井 それは面白いテーマだと思います。長寿研究でも「モラール・スケール」という尺度の質問票を使って、幸福感、生き甲斐、バイタリティといったQOL(生活の質)の指標を測ったりします。

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 ・・・それで、調べると、やはり年齢とともに得点は下がっていきます。いろいろなことができなくなってきますから。・・・

 ところが、百寿者のモラール・スケールの得点は、年齢の割に高いんです。・・・介護を受けたりして、いろいろなことが不自由になるけれど、それでも幸せの度合いは高いんです。

 

為末 うーん、それはどう解釈すればいいんですか。

 

新井 医学というより心理学の話になってきますが、百寿者たちは「老年的超越」という境地に達していると考えられます。

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 ・・・私は「適応」の一種なんだと思っています。・・・

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 ルービンシュタインというアメリカの著名なピアニストの話ですが、彼は89歳のときにカーネギーホールで引退リサイタルをし、95歳で亡くなられています。彼は若い頃は速弾きの技巧派として名声を得ましたが、高齢になって演奏でミスタッチが増えるようになると速弾きを目標としないで、以前よりも練習に時間をかけるようになったといわれています。

 さらにルービンシュタインは練習をしてもカバーできないことを悟ると、演奏曲のレパートリーを少なくして演奏するようにしたそうです。そのようにして生涯現役ピアニストを続けました。自分のできる範囲でやれることを考えるという意味での適応を、とても上手になさっている事例だと思います。

 

為末 きっと、そうして自分の状態を受け入れていった先に「老年的超越」の境地があるんでしょうね。でも、どうやって、その境地までたどり着くのか……。

 

新井 いかにストレスを克服するかということが大事なんだと思います。百寿者の方々に「どんなことが一番大変でしたか」と尋ねると、「(1923年の)関東大震災のときだった」とお答えになります。・・・「あの時代を思えばなんともない」とおっしゃいます。・・・

 

為末 ・・・仏教の諸行無常観に近いような気もしますね。・・・

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 生活習慣、信じること、それに社会とつながっていることなどがうまく組み合わさったところに、長寿になることの秘訣がありそうな気がします。100歳を超えた方々が楽しみにしていることと、後悔していることには、どんなことがありそうですか。

 

新井 きっと後悔していることはあまりないですね。・・・特に嫌なことは忘れる。「恩は石に刻め。恨みは水に流せ」という言葉を大切にしている長寿者の方がいましたよ。

 

為末 楽しみのほうはどうですか。

 

新井 もちろん、お孫さんがたまの休日に来るといったことがあれば当然、楽しいでしょう。けれども、毎回のお食事にしたって、楽しみにしている方はいますよね。つまり、日常生活のなかでのことを楽しみにしているということだと思います。