運の本3冊目

続・ダメなときほど運はたまる (廣済堂新書)

 3冊目も、面白く読みました。

 印象に残ったところです。

 

P25

 ・・・運の神様は途中で何度もフェイントをかけてくるの。「夢が近づいてきたぞ」って知らせようとするから、気がつかないふりをしてた。そこで気づいちゃうと大きな運にならないし、「いい気」になると運がさ~っと逃げていく気がしたからね。

 このとき一つ発見したんです。夢に近づいたことに「気づかない」ために重要なのは、「夢中」になるっていうこと。目の前のことだけを一生懸命やってれば気がつかない。

 あれ、夢中でここまできちゃったけど、気がつかないうちに運がやってきてたんだな……。そんなふうに思える人生がいいと思いません?

 

P64

 人になにかを教える立場になったら、できたとき丸ごと相手の手柄になるようにしたほうがいいんです。時間はかかるけど、相手に「自分の力でここまで到達した」っていう達成感を持ってもらうことが大事なの。

 今はなにを教えるにしても、「早く一人前にしよう」と思って、直接言いすぎるんじゃない?近いところには大きな運も成功も落ちていないんですよ。

 

P121

 浅草で人情を感じさせてくれた人は、東八郎さんと東洋劇場の踊り子さんだけです。僕よりちょっと年上で、いちばんの売れっ子だったお姐さん。初めてまともに話したのは、僕が東洋劇場を離れて一年間地方巡業に出る前のこと。このお姐さんが送別会を開いてくれたんです。

「坊や、送別会もしてもらえないんだって?じゃあ、私がしてあげるよ」

 いきなりそう言われて、僕の頭のなかは「?」でいっぱい。だってそれまで言葉も交わしたことがないし、踊り子さんの座長クラスだった彼女は、新米コメディアンの僕にとっては雲の上の人。東洋劇場はコメディより踊りがメインでしたからね。

 ・・・帰りがけ、僕には忘れられない出来事があったんです。

「坊や、これから苦労するかもしれないね。そうだ、困ったらこのネックレスを質に入れな。けっこういいお金になると思うよ」

 そう言ってお姐さん、自分がつけてたネックレスをぴゅっと首から外して、ぽ~んと僕に投げてよこした。受けとった僕がとっさになにも言えず、きょとんとしていると、「じゃあね~」ってお姐さんは帰っていっちゃった。・・・地方巡業のあいだ、僕はそのネックレスをお守りだと思って、ず~っとポケットに入れてました。

 ・・・僕が単独でテレビに呼ばれるようになったときも、お姐さんが電車賃をくれた。

 ・・・

 僕は毎回そのお金で、テレビ局と浅草の下宿先を往復してました。テレビに呼ばれたと言っても、たいていはエキストラ的な仕事で、謝礼もごく少ないから、僕はいつもお金に困ってたんですよね。

 ・・・

 有名になったら、このお姐さんには思いっきり恩返ししたい!そう思ってたのに、コント55号を結成して僕が売れてきたら、お姐さんは浅草から消えてしまいました。

「欽ちゃんは有名になったんだから、私がそばにいちゃ邪魔になる」

 どうやらお姐さんはそんなことを考えて、浅草から逃げたらしい。もう、必死で探しましたよ。僕のほうは、やっと有名になって彼女と結婚できる、と思ってたところでしたから。

 ところが、お姐さんの友だちからようやく居所を聞いて駆けつけると、もうそこも引き払ったあと。こんなことを何度かくり返して、ようやく結婚にこぎつけたの。

 そう、浅草時代に僕を助けてくれたお姐さんが、僕の奥さんなんです。今も彼女、「萩本欽一の妻」として人前に出るのは大嫌い。あんなにスターだったのに、普通すぎるほど普通のおばちゃんになってます。きっと自分の運を、丸ごと僕にくれたんですよね。うちの奥さんも、僕にとってはかけがえのない恩人です。