つづいているだけ

負けるが勝ち、勝ち、勝ち! (廣済堂新書)

 気持ちのいいお話だなぁと思いました。

 

P153

 あるとき、テレビのロケで地方のある町を歩いていたら、やけにきれいなお地蔵さんがありました。

 お地蔵さんそのものは新しくないんだけど、ぴかぴかにしてあるし、その周りもきれいになってる。それで、ご近所の人に聞いてみたの。

「あのお地蔵さん、誰か掃除してる人がいるんだね」

 みんなの答えをまとめると、町内に住むおばちゃんが一人で毎日お掃除しているんだって。それも「もうかれこれ四〇年以上になるんじゃないかな」と言っていた人がいました。

 ・・・

「こんにちは。おばちゃん、町内の有名人だね。毎日お地蔵さんのお掃除をしてくれてるって、みんなに聞いたんだけど。なんでお掃除してるの?」

 そう聞いたら、ここにもまた物語があったんです。

「なんで掃除してるかって言われても……親切とかそういうのと違うのよ。昔ね、私の亭主が戦争に行っちゃってね。だからお地蔵さんのところへ毎日行って、『お願いだからうちの旦那を無事に返して』ってお願いしたんだけど、拝むだけじゃ帰ってこないと思ったから、掃除してたの。そうしたらちゃんと帰ってきた。だけど、旦那が帰ってきたからって、急に掃除をやめるわけにいかないじゃない。なんかお地蔵さんに悪い気がしてさ。だから今も毎日やってるの。しょうがないからね」

 言い方はすごくぶっきらぼうで、カラッとした感じ。「親切なおばちゃん」と思われるのは、いやなんでしょうね。

「私の願いを聞いてくれたお地蔵さんだから、ちょっとお返ししてるの」

 って、このつき合い方がしゃれてるよね。でも、もうちょっと掘り下げて聞いていったら、戦争から無事に戻ってきたご主人は、その一年後に病気で亡くなったんですって。それでもお地蔵さんのお掃除はやっぱりやめられなかったって、おばちゃんは言ってました。

 このときの模様はテレビカメラでも撮ってたんだけど、おばちゃん、照れちゃって、隠れながらしゃべってるの。

「そんな、欽ちゃん、テレビで言うほどのことじゃないんだよ。自分のためにお願いして、自分のためにお掃除してて、その習慣がずっと続いてるだけなんだから」

 って言うけど、なかなかできることじゃないよね。このおばちゃんの台詞、よかったな、正直で飾りがなくて。「親切」の教科書に載せたい話だよね。

 今はもう「誰のため」という目的を飛び越えて習慣になっている行為が、前を通る人みんなを気持ちよくさせてる。いちばんいいのは、本人がそれをちっとも「親切」とか「善行」だとかって意識していないところ。こういう親切って、格が高い。

 たまたま通りかかった僕までうれしい気持ちにさせてくれて、おばちゃん、ありがとう!