昨日の記事のつづきです。
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うまく説明できないんだけど、あとになって、部屋もテーブルもすべてぼくがつくり出したものだとわかった。「テーブルのスピリット一団とは何ぞや?」って思うよね。
じつは、それもぼくが手がけたビジュアル的な演出なんだけど、なぜそんなものをつくり出したかというと、こっちの世界についてもっとよく知るためには、物知りの年配者から教わったという形にするほうが、自分にはよりリアルな感じがしたからだ。スピリットってやつは、こちらの世界への移行を理解するうえで、もっともしっくりくるストーリーを自分でつくり出すものなんだ。本人が意識してか、そうでないかは別として。
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彼らはみんな背が高くて、近づくほど、強烈なエネルギーが伝わってきた。背の高さにしても、エネルギーの強さにしても、そのスピリットたちの知恵と経験を象徴しているんだろう。それでいて彼らは、ぼくより優秀だというそぶりをまったく見せない。この世界では誰もが何かしらのスキルをもっていて、人間の姿かたちをしているときも、スピリットのときもそれを発揮できる。目の前の六人のスピリットは知恵と思いやりというスキルを備えていた。
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つぎの展開を話すまえに、言っておきたいことがある。・・・これは役立つ話だから。
きみが天国に(別の呼び方でもいいけど、ぼくにとっては天国なので、こう呼ぶことにする)どんなふうに入るかは、生前の信念体系で決まるということだ。
たとえば、でっかいトンネルを通って大きな白い光に吸い込まれていくと信じている人には、そのとおりのことが起きる。それは自分でつくり出すものなんだ。・・・
・・・「死んだら土に返るだけ」と信じていて、・・・自分という存在は消えてしまう、と考えているなら、暗闇の中へ、無の中へ入っていくだろう。・・・
ほんとうは永遠に暗闇にいたいわけではなかったんだ、と気づいて、大声で助けを求めるかもしれない。・・・助けを求めれば、・・・いまぼくのいる、こっちの世界へやってくる。
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テーブルに着席した六人のスピリットたちを見て、ぼくはこの旅がどんなものであれ、つぎの段階に入ったことを悟った。・・・
スピリットたちに「これから人生の振り返りを始める」と告げられ・・・
スピリットたちによれば、ぼくはこれからさまざまな場面を見ることになるらしい。・・・その振り返りのプロセスによって、ぼくは自分が何者で、どうすれば自分を許せるようになるかがわかるのだそうだ。
でもぼくは、「自分を許す方法がわかる」と言われるまで、自分が許しを求めていたことにさえ気づいていなかったんだ。
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突然、自分が小さな赤ん坊だったときから死ぬ瞬間までの、ありとあらゆる場面―楽しい場面も、つらい場面も、醜悪な場面も―が、四方八方からぼくに降りかかってきたんだ。
・・・しかも自分の体験のすべてをもう一度体験するだけじゃない。人生に存在したすべての人が、ぼくの言葉や行動に何を感じたかを、目の当たりにしたんだ。
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つぎつぎと目の前に場面が繰り出されてくる。こういう能力は、生きている間ならお金を払ってでもほしいと思っただろう。そうすれば、おそらく違うやり方で人生のかじ取りができたはずだ。人は誰も、死んでいようが生きていようが、自分の選択の意味を理解したいと思うもんだ。だから、この振り返りは最高の体験だった。
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こうして人生を振り返っていると、自分はある種の役を与えられ、それを演じていたみたいだなと思った。で、その人生を終えたとき、自分は「ぼくの人生」という劇の登場人物にすぎなかったことを知り、芝居の総評を読むことになるんだな。
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この振り返りの間に、何度かテーブルに突っ伏して泣いたこともあった。
のけぞって笑ったこともあった。でも六人のスピリットに自分が裁かれたと感じたことや、自分が何か間違ったことをしたと感じたことはいっさいなかった。
説明するのは難しいんだけど、ぼくはこのとき初めて、善悪というものは存在しないとわかったんだ。
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だからって、こっちの世界に来ると、無法状態になるわけじゃないよ。・・・
・・・そういう定義(そして定義の必要性)を超越したレベルの存在だってことだ。
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振り返りが終わったあと・・・六人のスピリットが、人生のすべての場面をぼくに見せた目的を教えてくれた。
人間としての体験から何かを得ることが目的だったんだって。
さらに、ぼくにその自覚があったかどうかは別として、じつは、ぼくの人生は、出会ったほかのスピリットたちとともに、自分ですべてまえもって計画したことだった、とも教えてくれた。ぼくの人生の計画とは、対比(コントラスト)をつくり出すことだった。
たとえば、許しを完全に学ぶためには、自分自身や誰かを裏切らなくちゃならなかった。・・・