実感が伝わってくる語り口で印象に残りました。
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寂聴 昔、ユリ・ゲラーというスプーンを曲げる超能力者がよくテレビに出ていたでしょう。当時、私も面白半分でスプーンを撫でていたら、ぐにゃりと曲ったの。でも、それが私の超能力のせいとはどうしても信じられなかった。私の掌は、自分の痛いところに触れるとアイロンをかけたようになって快くなるし、他人の体も悪い箇所に掌が近づくと、かっと熱くなって、ほぼ患部を言い当てる。それでも超能力や霊能力だとは思えなかったのね。・・・
ところが、出家して比叡山延暦寺の横川中堂での護摩行や、三千仏礼拝という荒行で気も遠くなりかけた経験をしてからは、
「祈りとは無私になりきらなければ仏に通じないものだ」
ということをおぼろげながら体得したの。同時に、昔の霊験譚の多くも、すべてがつくり話というわけではなく、昔の人が素直で無欲な心をもっていたころにはそういう奇跡も行われたのではないかと思うようになった。
霊験の多くは純粋で切なる祈りのときにのみ現れる。あるいは、人が何かを信じきり、任せきったときにのみ現れるんだな、と。
・・・
・・・人間以外の何かはあるのよ。それを神と呼ぶか仏と呼ぶかは、宗教であり哲学でもあるんだけど、とにかく何かはある。
だから、人間の知恵で解決できないときは、祈ればいい。そして、素直に「助けてください」と言えばいい。