大丈夫、なんとかなる

仕事にしばられない生き方(小学館新書)

 「思い切り描きなさい」「なんとかなる」こういう言葉って、魔法のように効く気がします。

 

 

P21

 物心ついた時から、私はとにかく絵を描いてばかりいました。白い紙を見れば、チラシの裏だろうと何か描かずにはいられなかった。不思議なもので、最初に描いた一枚が次の絵の呼び水になり、手を動かすうち、物語がどんどん浮かんできて、紙芝居をいくつも作っていた。そんな娘を見て、母は母で思うところがあったのかもしれません。

 あの頃、私達家族は母の移住先である北海道の千歳空港からほど近い団地に暮らしていたのですが、私が思いあまって、部屋の白い壁いっぱいに絵を描き散らした時も、母は叱るどころか、漆喰でもう一度、壁を真っ白に塗り直して、楽しそうにこう言ってのけたのです。

「ほら、マリ。描きたいなら、思い切り描きなさい」

 

P23

 私の知っている母は、年季の入ったハイエースをぶっ飛ばして、あっちの演奏会、こっちの個人教授と飛び回る、とんでもなくタフな情熱家です。

 月謝の代わりにとうもろこしやじゃがいもをどっさり積んで帰ってきたこともあれば、どうしても月謝が払えない生徒に3年もタダで教えてあげていたと知って、びっくりしたこともあります。うちだって、決して楽ではなかったのに。

「しょうがないわよ。みんな、いろいろ事情があるんだから。お金なんてものはね、あてにしたらダメ!ある時はあるし、ない時はないの。大丈夫、なんとかなるわよ」

 口癖みたいに、よくそう言っていたのを覚えています。

 もうすぐ娘達の学費を払わないといけないのに、貯金の残高が心もとない時でも「大丈夫、なんとかなるでしょ」。凪の海で風を待つような、あっけらかんとした調子でいる。どういうわけか、そうしていると前に仕事をしたことのある人から、ふいに電話がかかってきたりするのです。

「よしっ、演奏会の仕事が入った!ほらね、なんとかなったでしょう」

 本当はかなり綱渡りの時もあったはずです。子どもながらに内心、母の「なんとかなる主義」が気が気じゃなかった。でも母がお金のことで険しい顔になったのを見たことがありません。どこか浮世離れして楽観的な母につられて、娘の私達も「お母さんがああ言ってるんだから、今回もまたきっとなんとかなるんだろうな」という気がしてくるのです。